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一体これのどこがクリエイティブ(創造的)なのか?

こうやってずっと屋内にいると、社会と自分を繋ぐドアは必然的にインターネットがメインになる。
僕は音楽が生業でありライフワーク(お金になろうがならなかろうが人生を通してやりぬこうと決めたこと)なので、おのずと音楽にまつわるコンテンツにカーソルが向かう。
そこで感じるのは、音楽や商業芸術を取り巻く状況のいびつさ。
(音楽に限らずだが)
全てがマーケティングで進められていて、今みなが口を揃えて言うのは、

「どうやって有力なプレイリストに入るのか?」だ。

そしてその可能性を少しでもあげるべく、曲の方向性やテーマを今もっとも聴かれている音楽になぞらえ、可能な限りスキップを回避出来るよう、イントロを短くサビやハイライトを前倒しにし、曲全体を3分前後に収めるなどなど。

一体これのどこがクリエイティブ(創造的)なのか?

かくいう僕のプロジェクトミーティングでもしばしば話題に上る。もちろんそこから紐解いたことをメインに制作を進める、なんて事はやらないけど完全に無視もしていない。世に生み落とす作品、可能なら多くのひとに聞いてもらいたいと思うのは当たり前のことだから。
でも現在のマーケティングにおいては生み出すこちら側が御用聞きみたいに、

「どんな音楽がお気に召しますでしょうか?」

などどやる気持ち悪さを含んでいるのは否めない。
そして、その指標にすべきデータのソースはリスナーのダイレクトな声ではなく、配信サービスに介在しているディストリビュータや有力なプレイリストを持っているメディアが集めたデータだったりする。
いままでもラジオのディレクターに気に入られてそれがヒットに繋がるという図式があったが、すこし様相が異なる。

こんなもやもやした気持ちを抱えながら音楽を作っていると、もうなにもかも全部ブチ壊したくもなる。実際に日々作っては壊す作業の繰り返し。

それでも僕らに自由はのこされているし、自由に生み出す権利もある。
作り出す過程ではだれも個人の感性の中に入り込めないから。
あとは己が強靭な鋼のような心を保ち、己の中に湧く己たる創造を湾曲させずに表現するための努力しかない。

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