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YOSSY劇場 ~スゴい列伝~ 「簑田浩二」

知らなかったことを知ることは楽しい。

「こいつはスゴい!」と思うようなことは、人にも伝えたくなる。

人でも、生き物でも、モノでも、なんでも。

このコンテンツは、そういうスゴい奴らの魅力を紹介していくシリーズである。

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簑田浩二
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◼️プロ野球の記録は面白い


僕は野球を見るのが好きだ。


いや、自分でやるのはあんまり得意ではない。だいたいボールを受けるという動きが苦手なのだ。野球のボールなんて軟球でも固いので、当たったら痛いではないか。


僕が子供の頃は外で遊ぶことがメジャーだった。中でも人気だったのが野球だ。下手くそなりに、友だちについていって遊んだ思い出はたくさんある。

が、野球ってちょっとルールが複雑でもある。あまり積極的な関心がなかった自分としては、フォースアウトとタッチアウトの区別がわかってなくて、なんでランナーにタッチしないのか、と怒られたりした。

また自分がバッターのとき、友だちが投げたボールが顔面に飛んできたとき、避けずにバットを振ったら顔に当たった。避けていいとかも知らなかった。


まあそれなりに楽しんでた部分もあるんだが、わりとネガティブな思い出が多くて、小学生の頃はあまり好きではなかったと思う。


が、プロ野球中継を面白いと思うようになったのが中学生の頃だった。野球というスポーツは、いろいろな記録、数字がものすごくハッキリと残る。僕は特にそこに興味を持った。


日本プロ野球界には、誰もが知るとんでもない大記録というものがある。

王貞治の通算本塁打868本。

福本豊の通算盗塁1,065個。

金田正一の通算400勝。

最近ではイチローの数々の記録が記憶に新しい。


これらの記録のものすごさは言うまでもない。上に挙げたものは皆、おそらくこの記録を破る選手はもう出てこないのではないか、と言われる。それぐらいスゴい。


が、誰もが知るこういった超大記録だけがスゴいわけではない。むしろ、あまり知られていないような記録にも、非常に興味深いものはたくさんあるのだ。



◼️80年代に活躍したオールラウンドプレーヤー


新聞のスポーツ欄を見ると、打率や本塁打の上位リストが載っている。僕が野球に関心を持ち始めた頃はセ・リーグ、特に巨人が圧倒的人気があり、パ・リーグはテレビを見ていても出てこない。が、新聞には載る。で、その年、1983年にパ・リーグで本塁打王争いをしてたのが、門田博光(南海)・テリー(西武)・簑田浩二(みのだこうじ、阪急)といった面々だった。


中学生の自分にとって、一番魅力はやっぱりホームランだった。わかりやすい。首位打者よりホームラン王の方がカッコいい。そして、テレビで目にするセ・リーグと違って、パ・リーグは新聞でちょろっと写真が出るくらいだから、ある意味とてもミステリアスだ。


途中までは簑田とテリーがパ・リーグのトップを争ってたと記憶している。テリーはどうも黒人らしい。簑田は第一なんて読むのかがわからない。何これ、衰えるって字だっけ?とか思いながら。が、パワフルな外国人選手より日本人選手に勝ってほしいみたいな気持ちがあり、僕はこの名前の読み方も顔もわからない選手をひそかに応援していた。これが、僕が簑田浩二を認識した最初だった。


さて、パ・リーグのホームラン王争いは、最終的には門田が40本打ち、38本のテリーを振り切った。簑田は32本に終わった。しかし、この年簑田は日本プロ野球界で30年ぶりのある記録を樹立したのだ。


それが、トリプルスリーである。


トリプルスリーとは、1シーズンの打者の成績で、打率3割以上・ホームラン30本以上・盗塁30個以上、を同時に達成すること。

バットコントロール、パワー、スピードのすべてを兼ね備えてないと達成できない記録である。


そのトリプルスリーをこれまでに達成した選手は、日本プロ野球の歴史においてわずか10人。

とはいえ2015年に山田哲人(ヤクルト)と柳田悠岐(ソフトバンク)が同時に達成し、流行語大賞にもなったことで、かなり認知はされている。なお山田については2016年・2018年も達成したが、複数回達成しているのは山田だけである。


蓑田は史上4人目だったのだが、実はそれまでに達成していた3人はトリプルスリーという概念がなかったため、この1983年の蓑田が初めて注目されたケースとなる。打率.312、ホームラン32本、盗塁35個での堂々の達成であった。そしてこれ以降昨年までの35年の間に達成したのが、秋山幸二(西部)・野村謙二郎(広島)・金本知憲(広島)・松井稼頭夫(西武)、そして前述の山田と柳田、というそうそうたるメンバー。この記録の難しさ、スゴさは、メンバーの顔触れにも表れているといえよう。こうした選手たちのいわば魁となったのが蓑田だったのだ。


なお蓑田は非常にイケメンで人気の選手でもあった。1988年、阪急から巨人に移籍し、90年のシーズン後に引退した。



■ もうひとつのトリプルスリー


ところが、蓑田にはもうひとつ、非常に面白い記録があるのだ。前述のトリプルスリーを達成した年より3年前、1980年に、簑田は「30本塁打、30盗塁、30犠打」の変形トリプルスリーを記録していたのだ。これは現在に至るまで史上唯一である。


簑田がレギュラーを獲得したのは1978年。充実した選手層の中、俊足と強肩を武器に2番レフトの定位置をつかんだ。後には主にライトを守るようになる。

最近のメジャーリーグでは2番に最強打者を置くチームが増えている。日本でも取り入れるチームがでているものの、基本的には2番といえば送りバントなどの小技を要求される打順である。


だが1980年の簑田は、2番バッターとして31の犠打を記録しながら、自らも39個の盗塁を決め、さらには31本のホームランをスタンドに叩き込んでいるのだ。ただし、打率は.267と平凡な数字に終わっているし、打撃タイトルにも遠かった(ホームランはマニエルが48本、盗塁は福本が54個でタイトルを獲得)。それでもこの変形トリプルスリーは特筆すべきことだろう。


例えば2018年、パ・リーグでホームランを30本以上打っているのは4人(山川、柳田、浅村、松田)だが、犠打は見事に4人全員が0。セ・リーグでは7人(ソト、丸、筒香、バレンティン、山田、岡本、鈴木)で、やはり7人全員が0である。


ホームランを30本打つような強打の選手に送りバントをさせることはまずほぼないのだ。最近は以前に比べて犠打そのものが減少傾向にはあるのだが、それを考慮しても、この年の簑田の残した記録は極めて特殊な例といえる。おそらくは今後も、達成者が出ることはなかなか考えにくいのではないだろうか。

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