堂々と主張していいんだ。それが当たり前だ。【自粛】

2.自粛とセットになるべきこと

自粛という言葉には、国民に対して2つの要求をしている。

1つは、「家にいてください。」
もう1つは、「人を呼ぶようなことは避けてください」
ということだ。

そしてこの要求には必ず絡んでくる問題がある。
それが“金”であろう。

家にいればいつもよりも食費が増えるし、暇を潰すための娯楽品に消費を移す。
働きに出れず、補償が出なければ、収入が途絶える。
補償分だけじゃ生活できない家庭だってあるだろう。

入りが少なくて、出が増える。
「家にいてください」のお金問題はここにある。

人を呼ぶようなことを避ける=店を閉めることを意味し、
店を閉めたら収入が途絶える。
収入が途絶えても決して途絶えないのが家賃等の定期的な出費であろう。
電気を消して鍵をしめておけば金がかからないというわけではなく、
セコム的な会社の契約費や保管費もかかる。
動物園は餌代が減ることなどない。

そうなったらお店を開いてでも収入を確保しようとする。
他の店はやってないからお客が取れるんじゃないかという博打打ちに出る。
しかし、お客は今までのようには来ず、人件費や材料費等で圧迫するばかり。

入りがなくなっても、出は0にならない。
入りが減っただけであっても、出は増える。
「人を呼ぶようなことは避けてください」のお金の問題はここだ。

ここで一つ気づきがある。
「自粛をすることは、金がかかる」
わけではなく、
「お金が出る一方になる(そして、十分に入らない)」
ということである。

しかし、お金が出る一方で手元に残らなければ生活や仕事ができなくなる。
そりゃそうだ。
手元に金がなきゃ何もできない。
“死”あるのみだ。

だからこそ、誰かが「お金の”入“」に手を差し伸べて、
”出“ばかりで苦しむ社会を支え、”死“から守らなければならない。

じゃあ、それは誰か。
それが出来るのはーそう、やるべきとか云々の前に、”出来るのは“だー、
政府しかいない。

自粛と給付(つまり、お金の”入“の補償)がセットは当然なわけである。

この渦中で、お金を要求することは決して恥じることではないのだ。

(この投稿は数回に分けておこないます)