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こんばんは、主宰・原案のイロハスです。

本公演をなんとか本番までやり切ることができて、安心して、もうなんだかこざっぱりとした気持ちです。ぜんぶみんなのおかげです。演劇はひとりじゃできません。

ひとりじゃできないところが演劇の煩わしさだったり続けづらさだったりすると思いますし、ひとりじゃできないとこがやっぱり楽しさだと思います。演劇好きですけど、演劇がひとりで作るものだったら、こんなに長いことやっていなかっただろうなと思います。

ま~前置きが長くなりましたが、今回は【主宰】というものがですね、演劇公演においてなにをしているか、せっかく機会を頂いたので少しお話しようと思います。


🌷主宰とは🌷

……【主宰】って何してるんでしょうね?
劇団森の公演だと、主宰・脚本・演出は同じ人がやっていることが多くて、主宰と脚演は混同されがち(実際被るところは多い)です。主宰がどんな演劇を作るか決めるイメージがありますけど、それは実は脚本さんや演出さんのやることだと思います。

でも企画公演で主宰やるぞってとき、やっぱり脚本・演出としての動きがメインになると思うんです。場当たりのときも聞かれるじゃないですか、「主宰さん、いかがですか~?」って。あの時主宰に求められてるのは明らかに演出家としての人格だなあと思います。

じゃあ【主宰】は居ても居なくてもいいのか、名前ばかりの無駄セクションなのか、というとそんなことはないだろうと思います。たぶん。【主宰】が担っている役割もきっとあるはず…!

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今年の主宰だよ


🌷脚本演出と主宰の違いってなに???🌷


脚本・演出は 『どんな【演劇】を作りたいのか』

ということを考え作り続けていると思います。こんなシーンを作りたい・こんなメッセージを伝えたい・こんな面白いことをしたい、とかですね。「人が裸で全力で歌ってるところが観てえんだよ!!!!!」とか言うのは大体脚演です。

対して主宰は 『どんな【公演】を作りたいのか』 

ということを考ているように思います。こんな人に観てもらいたい・参加者にこんな気持ちになってほしい・こんな社会的意義を果たしたい、などなど。「本公演はとにかくOBOG他団体同期その他これまでお世話になった皆々さまに届けたいんだ!!!!」とか主宰は考えてます。たぶんね。

そういう意味では、脚本・演出としては小屋内にいる舞台監督さんにお世話になることが多く、主宰としては小屋外のすべてを担っている制作さんにお世話になることが多いのかもしれません。

と、言いつつ私も最近ようやく主宰というものの意義について考え始めたところでして。これまで企画を打つ機会というものは何度かあったんですが、ずっと『どういう演劇を作るか』ということしか考えてこなかったんですね。だからあんまり主宰らしいことをきちんとできたなと思うことはあまりありません……。今回の本公演もそんなに主宰としての責務をきちんと果たせたか、というと悩ましいところではあります。

というか最後には主宰としての仕事も脚演としての仕事もほっぽってふざけてました。すみませんでした。

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全身タイツのしまじろうが観てえんだよ!!!!


🌷今年の本公演で大事にしていたこと🌷


では目覚めたばかりの主宰としてのぴよぴよ🐣自我は今年の本公演で何を大切にしていたのでしょうか。どんな公演にしようとしていたのでしょうか。

①演劇をする
②誰もがやりたいと思ったことをやれる公演にする
(←これの話もしようと思ってたんですけど、長くなりすぎたので結局しませんでした。)

以上の2つです。できてたかな~???

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ばっちりですよ!


🌷演劇をする🌷

ひとつめは【演劇をする】。演劇公演の主宰なんだから当然だろ、と思われるかもしれませんし、当然だとは思うのですが、今回の大きな目標でした。そして自分なりに主宰としての役割を果たせたな、と思うのは【演劇をする】と言い続けることだけだったようにも思います。

【演劇をする】とはなにか。昨年度の本公演から言葉を借りるなら【演劇を諦めない】ということになるでしょうし、今回の脚本に則っていうなら【ショー・マスト・ゴー・オン】です。

本公演コンペに企画書を出したとき私は【客入れ対面で】演劇をしたいと書きました。やはり演劇には劇場で役者・スタッフ・観客が同じ時間を共有している、ということが欠かせないと思います。お客様に観てもらい反応をもらってはじめて演劇として成立するという感覚があります。

でも今年の本公演は延期やコロナの影響で客入れはできませんでした。(ゲネを観てくれたスタッフ・人員のみんな、ありがとう!すっごく嬉しかった!)

そして私は対面演劇をしたいという気持ちと同じくらい強く「映像演劇も演劇だ!!!!」と思っています。

劇場に行けないくらいなんですか! 生で観られないくらいなんですか! すべての芸術は演劇に帰するんですから、映像演劇だってもちろん演劇ですよ!!!! 演劇LOVE💕

どんなに時間がなくても、どんな制約があっても、どんな困難があろうとも演劇を手放さない、いつだって【演劇をする】。それを態度として示し続けようというのが主宰としての私の大きな方針でした。

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演劇はおれがやる!


🌷演劇というもの🌷

少し話がそれますが、演劇について私はおよそ【役に立たない】ものだと考えています(以下持論です)。総体としての演劇には文化的な意味があるでしょうし、個別の演劇がいくつもあって文化としてなることは理解しているつもりですが、それでも個別の演劇がある若しくはない、とかそういうことは大勢に影響を与えないと思います。

外的に演劇はその存在を求められていない、ということです。あってもなくてもいい。例えば食べ物とかパソコンとか下水道とか法律とかそういうものに比べれば、ずっと不安定でずっと失われやすく優先順位も低い。

だからこそ【私が】演劇を大事にしてやらなきゃいけないと考えています。この世であなた(演劇)のことを知っていて愛していて待っているのは私しかいないから。私が見捨てた瞬間に(残酷ながらときに待っていてもなお)消えてしまうから。

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え、演劇、儚い……


🌷延期について1🌷

だから今回の本公演が2月で一度中断になった時私は、当然延期をする、という結論をとらなければなりませんでした。これまでの私の生き方に照らし合わせてみても、今回立てた方針に則っても延期以外ありえなかった。でもめちゃめちゃ悩んだ。本当に悩んだ。

3月に延期になった本公演は祝福されるのか?

ということを考えていました。社会的に必要とされていなくても、誰から求められていなくても、私だけはその演劇を大事にしなきゃいけないと思っています。それはもうずっと思ってるんですけど、思っていても、祝福されない演劇というのは寂しいものです。その存在が憎まれた日には涙がちょちょぎれます😢

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愛されたいよぉ……


🌷延期について2🌷

延期をすれば参加できない人も出てくるし、2月の実施のために全力を注いでいたことをもう1か月先延ばしにするというのはやっぱりしんどい。スケジュール的にも精神的にも予算的にも。

まあね、これらの問題は気合いでどうとでもなるんです。ひとたび延期すると決めたならば、解決はできなくても、えいやっとなんとかしましょう(私の頼もしい同期や後輩がね)。でも以下ふたつに関してはどうしようもなかったな、と思います。そのひとつひとつが本公演を中止とする充分な理由となりえました。

ひとつめはやっぱり【コロナ】のことです。演劇は完璧に安全ではありえませんでした。感染症対策という面からいうのなら【演劇はやらない】というのが最上の選択のように思います。演劇をすることは誰かを危険に晒すことでした。演劇は誰かを食らうバケモノでした。(もちろん演劇がバケモノとなってしまうのは主宰たる私のスケジュール管理能力等々至らなさが原因です。工夫次第でそのバケモノ具合は抑えられるはずです。本公演もたくさんの人に協力してもらってぎゅっぎゅっと押し込めてきました。でもバケモノはバケモノなので……)

もうひとつは【小屋】のことです。今回延期した本公演の小屋はもともと生粋工房×劇団森3月企画公演が行われるはずの小屋でした。さとうのりか、雨宮ひかるのふたりの主宰を筆頭とした3月企画の座組皆様に小屋を譲っていただいたことで今年の本公演はなんとか上演することがでました。また、4月企画や新歓公演にも無理を言いましたし、その他さまざまな公演が少しづつ犠牲になった(いちばん嫌な言い方をしました)のだと思います。

他人の演劇を侵害するという形でしか今年の本公演は存在しえなかったということです。

私も、本公演も企画公演もその他どんな演劇にも優劣は存在せず、そのすべてが等しく尊いと思います。けれど結局のところ私は自分の演劇しか大事にできませんでした。(そして終演後にこのように言い訳を並べ立てて恥ずかしい限りです)

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未熟者よのぉ……


🌷それでも本公演は祝福された演劇であった🌷

こんな風なやりきれなさが本公演にはありました。2月末に【延期をするか・中止をするか】という話し合いを行ったときにも、もちろん様々な意見が出ました。延期派も中止派もその間もいっぱいありました。


でもそこに様々な意見がある、ということこそが

劇団森本公演が祝福された演劇である

ことの証明であるように感じました。



愛の形は様々で、例えば私にとっての愛情表現は「演劇をする」ことそのものですけど、人によってもちろん違います。中止こそ愛の人もいます。愛すべき公演も大切な演劇も考え方も生き方も一つではなく、その上でそれぞれがそれぞれのありようで劇団森本公演を目一杯大切にしていると感じました。

そういうわけで、愛されてるなと思ったので、もう全部ひっくるめて、それでも延期するぞ、と私は腹をくくることができたわけです。

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OBOGその他たくさんの方からの、楽しみにしているよ、というお言葉にも励まされました、愛、感じました😉


🌷結局、主宰ってなに?🌷

少し、本公演延期の話をさせて頂きました。

結局のところ主宰というものが何をしているか、というとまあ最初に述べた通り【どういう公演にしたいか】ということを考え、【公演としての方針】を示すのが主宰の役割だと思います。

今回だったら、演劇をするよ、という方針を決めてそれを掲げた。(むしろそれしかやってない……)

また、その方針に従って座組の面々が生き生きと演劇ができるように環境を整備することもやっていきたいな、それができるのがいい主宰だろうな、と思います。組織作りだったり、面談だったり、雰囲気作りだったり、といったようなやり方で行われるのだと思います。まだ模索中です。

最後にもう一つ大事だと思っているのが、その掲げた方向に向かって進んでいけると信じることです。これから世紀の爆裂おもしろ演劇が生まれるところに立ち会えるのだと信じる!

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ア~~イヴィリ~~ヴインフュ~~チャ~~ し~~んじ~~てる~~🎵


🌷終演して🌷

先に述べたような経緯があって今年の本公演は延期をする、ということを決めました。話し合いを経て座組として延期をするという結論には至りましたが、必ずしもそれは全会一致というわけではなく、ただ決着をつけたにすぎません。

だから、小屋入りしてからたびたび、「演劇楽しい!」という言葉を聞けたとき本当に嬉しいな、と思いました。

誠に勝手ながら、延期してよかったなと。

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本番できたよ~~


🌷おわりに🌷

普段自分が企画を立てて公演を打つとき、よく孤独を感じます。企画書を練るときも、脚本を書くときも、稽古が始まってもどこか孤独で、私の演劇は私だけのものだと思うことが多いです。けれど本公演は最初から最後まで劇団森のものだなあと感じていました。それこそ企画書がメーリスで流れたころから。

ひとりひとりが【本公演】とそれぞれの思い出と思い入れを持っていて、秘密もあって、愛していて、とても甘やかでした。(本公演初めて関わる方々は歴史はないと思うけど、でもどきどきわくわくした期待感があったように思います)

それをひとしお強く感じられたのは主宰特権だったかもしれません。

今年の本公演、すごくすごく楽しかったです。私と一緒に演劇をしてくれてありがとう。本公演のことも演劇のことも愛してくれてありがとう。あんなに愉快で楽しいことができたのも、あなたがあなたなりのこだわりで本公演に関わってくれたからです。(たとえ延期後の本公演に参加できなかったとしてもあなたのおかげで今年の本公演はできたんです、本当にほんとです)。

ありがとう!




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