落ち着いた小学校になった要因

4〜5年かけて、私の勤務校は落ち着いた学校になってきました。その要因は以下の3つです。


(1)働き方改革を進め、仕事を減らした。
(2)一般級にいた支援級判定の出ている子を積極的に支援級に入れた。
(3)運よく児童数が微増し、学級が増え、職員数が増えた。

この結果、以前と比べて
教員が「授業の準備」と、「一人一人の子への対応」「時間」と「パワー」を注げるようになりました。それが、学校が落ち着いた要因だと、私や長く勤務している人の今の所の結論です。


(1)働き方改革を進めた

A:朝練の廃止
①朝(7:30〜8:10)の特別クラブの廃止(サッカークラブ、バスケクラブ)
②行事ごとにある朝練の中止(運動会応援団・運動会代表リレー、自治体の球技大会のサッカーとバスケ、自治体の陸上記録会の朝練)

これは一度ツイートしましたが、
・「給特法」によると朝練は命令していい仕事ではない。法的に問題。
・朝練をすると実質1時間授業分のパワーを使う。6時間授業が7時間授業になる。これでは子どもも教員も疲弊する。普通の授業の質が落ちる。
・朝練に来るのはごく一部の子。一部の子のために、全体の授業の質を落としていいのか?私たちは全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
ということを年度末反省で出して、通しました。

また、②の行事ごとの朝練ですが、基本的に授業時間内でやることにしました。○○大会は授業で全員が練習する。授業でできる範囲でやり、必要以上の成果は求めない。運動会関連は必要最小限度の練習を休み時間にすることにしました。

B:通知表の変更
①所見は年度末1回
②出席の欄は別紙「出席日数の確認のお知らせ」にする

 所見1回はかなり業務負担の軽減になりました。年1回なので書くネタにもそこまで困りません。私は冬休みに50%は終わらせ、3学期始まってから放課後にちょこちょこ書いて終わらせています。1学期・2学期に所見で苦しまなくていいのは、かなり負担が減りました。
 出席の欄を別紙にするのは、地味に効果がありました。通知表の誤記載の大きなものの一つが出席日数です。それを「出席日数の確認のお知らせ」プリントにしたので、気持ちも楽になりました。毎月末に出席簿の確認をしているので、その内容でお知らせプリントを作成し、もし、間違いがあったら修正した物を保護者に渡します。通知表と一緒にしていた時は、誤字脱字チェックに加え、出席のチェックもしていてかなり負担になっていました。が、別紙プリントにしたため公文書でもなくなり、負担がかなり減りました。(通知表もそもそも公簿ではないはずですが、うちの自治体では準公簿ということで誤記載があれば委員会の報告し、記者発表されます)

C:「個人の働き方改革」を広める
 職員室は会議や打ち合わせの内容より、普段の影響力のある人の行動の方が、伝わるし人の行動まで変えますよね。
 私は「こういう風にすると楽になるよ」「早めに仕事取り掛かると早く済むよ」と、早く仕事が終わるテクニックや考え方を割と大きめの声で若手や組んでいる人に伝えます。(もちろん、押しつけではなく、聞かれた時が多いですよ)。また、段取りがいい人がいると「どうやっているんですか?」とどんどん聞いて「素晴らしい!皆さんに伝えましょう!」と言ってます。私と組んだ若手は、私のやり方を次の年に他学年で実践してくれることが多いので、仕事が効率化してきていると感じます。

 A〜Cは、私が中心になって進めました。
 私以外の人がやったことで一番インパクトが大きかったのが「学級通信の廃止」です。学年で揃えていたので出したくないのに出していた人がいたのも事実でした。私は元々学級通信は出さない派でしたので特に何も思っていないのですが、反発している人もいます。

(2)一般級にいた支援級判定の出ている子を積極的に支援級に入れた


 一番難しそうな、支援級の件ですが、支援級に行った子たちは、自分のペースで学習ができるようになったので非常に落ち着きました。以前は、授業中に立ち歩いたり、授業の腰を折る発言をたくさんしたり、授業中に友達にちょっかいを出したり…注意されると反抗し…それに悪ノリする仲間たち…と酷かったんです。

 では、どうやったかを述べます。

 これは、特別支援コーディネーターになった同僚Aの活躍が大きいです。
 彼は数年前、私と同じ学年(難しすぎて皆が希望しないところ)を組み、地獄の1年を過ごしました。そこで、軽度発達障害の子で多動で攻撃的な言動の多い子がクラスを荒らし、「教員」と「友達」と「自分自身」をも不幸にしていると痛感したのです。
 彼は校長・全職員と協力して「支援級に入ることで、発達障害の子も一般級の子も助かる」という信念のもと、次の3つをしました。(彼は気づいていないと思いますが、私はそう分析しています)

①徹底して日々家庭に連絡する
 授業を受けなかった、授業の進行を妨げる結果になった行為は、記録を取り、その日のうちに担任か同僚Aが家庭に連絡するようにしました。もちろん怪我をさせた、物を取ったなどの案件もすぐに家庭に連絡です。
 今までは学校の中でなんとか解決しようとしてきました。大きな事案の時だけ連絡していたのですが「家ではちゃんと言うことを聞きます。学校が悪いんでしょ」になっていました。
 日々、家庭に連絡して(これが骨の折れる仕事ですが徹底してやってます)、「学校ではXXXのように指導しました。家庭でもご指導お願いします」を繰り返しました。そのうち、保護者から「家でも、言っているのにまだ直らないんですね。どうしましょう」と相談になる瞬間が増えてきました。その時、「では、専門家に相談しましょう。学校カウンセラー、療育センター、特別支援センター…どれにします?」と専門家につなぐよう促しました。初めは保護者から拒否されるのですが、回数が増えると、保護者も「このままではまずいな」と学校カウンセラーに繋がり、相談の後、支援センターに行き検査をしてもらい「個別支援級判定」をもらいます。

②支援級をオープンに
 支援級の保護者見学をいつでもウェルカムにしました。また、支援級お試し日も希望があればすぐに設けるようにしました。支援級の一人一人にあったカリキュラム、子ども数人に一人教員に近い手厚い環境、支援級同士の子たちの和やかな友達関係…これを見て、子どもも保護者も、「支援級に行った方がいいかな」と思い、入級のハードルが少し下がります。

③段階的に部分的に支援級をお勧め
 支援級判定をもらうということは、「支援級への切符」をゲットしたことであって、支援級に行かなければならないということではありません。
 また、支援級にいる時間も一人一人違います。支援級に在籍だけして、ほぼ一般級(交流級)で授業を受けている子もいれば、朝の会や給食だけの子、図工と理科だけ一般級に行くような子もいます。
 また、その子の学校生活が落ち着いてきたら、一般級にいる時間を伸ばし、6年生ではほぼ一般級にいて、中学から一般級に在籍という場合あります。
 休み時間や放課は一般級の子たちと遊ぶ子も多いです。(遊びはその子たち自身が選んだ気の合うメンバーで遊んでいますので大人ではコントロールできない面ももちろんあります)
 上記のことを保護者に説明し、その子に合ったやり方でその都度考えていきましょうと提案しました。

 しかし、すぐに入級とはいきません。①〜③をやって、支援級判定が出ても支援級には入級させない保護者は多いです。ただ、「問題行動は学校の責任」から「保護者自身が選んで一般級に入れているので、保護者の責任もある」「自分の子と向き合う・工夫する」に気持ちがシフトし、学校に協力的になってくれる場合が多いです。
 私のクラスでも1名、支援級に転籍した子がいますが、ものすごく落ち着きました。保護者も面談で「もっと早く支援級に入級させればよかった。私も子どもあんなに苦労する必要がなかったのに」と話してくれました。
 結果的に支援級の人数は当初の3倍に増え、支援級の教員も増え、充実しています。

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