自動書記、笑顔と童心、白内障、敵と仲間

【自動書記】
最近は自分との対話を怠っていた。
でも、それはそれでいい。

自分との対話を怠っていたからこそ、自分との対話の良さを想い出させてくれる。

また、自分としてはもう一度歩みを進めるのみ

といった形で自由に手が動くままに書記を進めているというのは言葉にならなかった自覚を自分として認識していること。

それが本当の自己であるので、それを認識するだけでいい。

そう考えると言語っていうのは面白い。言語があるからこそ自己も自分も認識できる。

だから、言語は自己が自分に対して備え付けさせた機能なのだろう。それは記憶だ。


【笑顔と童心】

自分は大人びている。大人にふるまっているのが大事だと思っていた。でも、そうではなかった。

子どもにふるまう甘えたな人もいる。それでもいいではないか。

それを否定していたんだろうと思う。今の僕の近くにいる人たちはつまづいただけで大爆笑できる。

その方が楽しいではないか。何でも美味しいと思える方が楽しいではないか。どこかで愉しいことだけが善だと思っていた。愉しいことも楽しいことも善いと思えることが善だ。

そうやって、自分のことを変えてくれている他者との出会いに感謝すべきだし、それは結局のところ自己に感謝していること。


【白内障】
近所の家の犬が白内障になってしまった。

が、白内障になってしまったと思っているのは人間だけに思える。犬としては特に何も思わずに、見えにくいという事実を受け入れているように思える。

それは、どうしても人間が生にすがったり、衰えそのものを悪だと思っている証に過ぎない。

衰えが進化となることだってある。体力が衰えるからこそ、しなやかな体の動きが求められるかもしれないし、余計な力が抜けて洗練されるかもしれない

能力を失うことに対して、得ることがかならずあることを知っておく必要がある。


【敵と仲間】
大会や競争とは何故にあるのか。僕としては、人類としての進歩でしかないと思う。

それを競う合うためとかそういう世界観で臨むことがおかしな身体を創り出す。

人間全体として、皆で進歩している最中で、誰が上手いとかはどうでもいい。うまい人はもっと見せればいいし、下手な人はもっと見ればいい。

それで、競技者全体としてレベルが上がるということは、より完全に近づいていくことでしかない。

しかし、それを目的にしては結果的にレベルは上がらない。
もっと、人間とは何なのかを知る必要がある。


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