しんごの日記

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マガジン

  • 小市民の戯言

    自分が自分のために人生や人類、宇宙の誕生についてのストーリーを考えるためだけのものです。ただの個人の一意見です。

最近の記事

主客同一、愛

自分のことのように痛み、悲しみ、喜び、楽しむ。 客が主となり、主が客となる。主客同一にこそ愛がある。人が母性に惹かれるのはそれ故かもしれない。 母のように慈悲をもち、父のように信ずるが愛かと思う。 そこに純粋経験としての統一的或者が現れる それが知と愛の始まりであって、真っ白なキャンパス。新たな可能性が開ける場。 思い出してくるのだろう。

    • 恋愛

      なぜ人は恋をするのだろう。 なぜ惹かれ合うのだろう。 恋しあった人たちは、どうやって愛し合っていくのだろう。 恋と愛をはきちがえてはいけないんだ。 恋のままなら、一日で終わらせればいい。 愛するから長年いればいい。 人のことを想い、信じぬくこと。 素直にいること。 相手が素直でないのは、自分が素直でないからに違いない。

      • 相手を信じること。 何かあれば必ず助けてくれること。 自分を信じること。 ほんねを伝えても受け止めようとしてくれると信じること。 本音を伝えられても受け止めようとすること。

        • 生きる、仕事、愛

          今までの人生を振り返って、自分の存在意義が全くわかってなかった。 今もわからない。 だから、女性に依存する。優しくする。 怒らずに我慢する。必要とされなくなるのがこわくて。でも、それは愛じゃない。 だから、仕事に依存する。無理してでも働く。サービス残業を我慢する。必要とされなくなるのがこわくて。でも、それは仕事じゃない。 なんのために生きてるのか分からないから、そういうことになる。それがわからない限り何も変わらない。だから、傷の舐め合いになってしまう。 そんな自分に

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        • 小市民の戯言
          3本
          ¥100

        記事

          依存と執着がすべてを駄目にしてる それに気づけたおれは大丈夫だ。 一心不乱になればいい。 体が壊れるまで、朽ちるまで。

          依存と執着がすべてを駄目にしてる それに気づけたおれは大丈夫だ。 一心不乱になればいい。 体が壊れるまで、朽ちるまで。

          コンプラ

          最近のメディアはコンプラ重視とか何とかで、すっかり面白くなくなってしまった。 志村けんみたいなお茶の間の笑いは亡くなってしまったし、当たり障りのない会話が多い。 UFO特集みたいな超科学的な番組もなくなった。 なのに、他国の批判や反韓、反中のような報道は許される。 何をもって、コンプラというのかまじでよく分からない。 他国だろうが何だろうが、祖先をたどれば皆家族なのに、アホじゃないか。 自分のお金がどうとかも、もう考えなくなってきた。だって、みんな家族だし。 自分で

          智恵と純粋経験

          今、この世で言語化されていない未知の知恵というのは無限に広がる。 それを引きずり出してくる主体とはどこにあるのだろうか。 純粋な経験と言うものを介することにのみのいて、そういった智恵は知恵に変わり得るのだと思う。 でも、純粋経験自体が起こり得るのは赤ちゃんだけかとは思う。大人になるにつれて、頭だけでなく知覚すべてが過去の経験をもとに経験を測り始める。 それを一個一個捨てることで純粋経験に辿り着けるかと言われると疑問である。でも、純粋経験ではないと自覚することはできる。そ

          智恵と純粋経験

          センスとバランス

          センスって誰にでも備わったものだと思う。 自分の好き、嫌いにどれだけ敏感になって心地良さをキープできるか。 それが心地良いバランスをうむ それがセンスだと思う、 どれだけ自分の心地よさに敏感になって、行動できるか。闘わないといけない。たとえ、身一つになったとしても

          センスとバランス

          集中

          集中していない。腰が立たない。そのストレスから快楽を求めて、睡眠、食事、性欲に走る。 それでは駄目なんだ。それでも善いのだけど、それはつまらない。 そんな僕は笑えていない。何故だ。 集中できる何かを探している。ずっと探している。それが出来ないから、ずっと何かを噛んでいたい。口にしていたい。 誰かと話したい。誰かに会いたい。 家にいても幸せであるはず。でも、家にいるとやむ。 自分とこうして会話しているときは集中している。それぐらいの時だろうか。最近で、心が躍るのは。

          普段が凪だから、彼女に高揚を求めている。 それは無責任だ。 和みを意識しないと

          普段が凪だから、彼女に高揚を求めている。 それは無責任だ。 和みを意識しないと

          送った愛に見返りを求めちゃいかん 見返りを求めるのは愛じゃない 2人が愛し合えば、どちらかの愛が強くなるのは仕方ない でも、愛の強いほうが勝ちだろう 自分の愛が強くて不安になるのも駄目。そんなときは、他社に依存して生きることを見失ってるとき。個人で生きるからこそ、真に愛せる

          送った愛に見返りを求めちゃいかん 見返りを求めるのは愛じゃない 2人が愛し合えば、どちらかの愛が強くなるのは仕方ない でも、愛の強いほうが勝ちだろう 自分の愛が強くて不安になるのも駄目。そんなときは、他社に依存して生きることを見失ってるとき。個人で生きるからこそ、真に愛せる

          大きく

          宇宙の終焉について考えること。 また、違う宇宙に考えること。 そういった時空軸で考えること。 また、それ以上で考えること。 それだけで、執着は消えていく。 意図しようとしているし、執着を持っている。それを何回言えるか。

          自動書記、笑顔と童心、白内障、敵と仲間

          【自動書記】 最近は自分との対話を怠っていた。 でも、それはそれでいい。 自分との対話を怠っていたからこそ、自分との対話の良さを想い出させてくれる。 また、自分としてはもう一度歩みを進めるのみ といった形で自由に手が動くままに書記を進めているというのは言葉にならなかった自覚を自分として認識していること。 それが本当の自己であるので、それを認識するだけでいい。 そう考えると言語っていうのは面白い。言語があるからこそ自己も自分も認識できる。 だから、言語は自己が自分に

          自動書記、笑顔と童心、白内障、敵と仲間

          皆しんどい、みんな寂しい、皆辛い それを我慢するのは違うし、それをカマチョに使うのも違う。 しんどいけど、やることをしたらいい。 しんどくて、寂しくて、辛いことを大っぴらにして笑い飛ばせばいい。その視点が善い

          皆しんどい、みんな寂しい、皆辛い それを我慢するのは違うし、それをカマチョに使うのも違う。 しんどいけど、やることをしたらいい。 しんどくて、寂しくて、辛いことを大っぴらにして笑い飛ばせばいい。その視点が善い

          食べ物の好き嫌いの多さは、許容範囲の柔軟性に比例する気がする

          食べ物の好き嫌いの多さは、許容範囲の柔軟性に比例する気がする

          割り算

          僕の思考体型は割り算的だ。 善と悪。正解と不正解。 どちらかに一つ。だから、分かりやすい。 馬を動かすときも同じ。このときはこう。あのときはこう。 そうやって、理論を導き出そうとして、力の加減が分からず、教科書に則ったような騎乗しかできない。 そうじゃない。割り算的な思考ではもうダメなんだ。流れる水のような身のこなし。それは流れる水のような思考から生まれる。 そして、流れる水と身体を認識している自分は限りなくとまっている