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言葉で戦う力、思考の免疫力|森元斎『もう革命しかないもんね』

 「言葉で戦え」

 アナキズム研究者・森元斎さんの近著『もう革命しかないもんね』を読んでいて、この言葉に揺さぶられた。正しくは、この言葉自体にというよりも、森さんがこの言葉を投げかけられた場面と、そこに至るまでの文脈にである。

 ある日森さんは知人からクリスマスパーティーに誘われ、「タダ飯を食らえる」くらいの軽い気持ちでそれに参加した。パーティーのホストは、免疫学者であり能作家としても知られる多田富雄さんだった。多田さんのお弟子さんに囲まれアウェイ感を感じつつもタダ飯をくらっていた森さんは、ふいに「何をしている人ですか」と多田さんに尋ねられる。「哲学を勉強しています」と答えると、それまで穏和な顔をしていた多田さんの表情が一変し、突如森さんに投げかけられたのが、「言葉で戦え」という言葉だった。多田さんは脳梗塞で声と右半身の自由を失っており、トーキングエイドと呼ばれる言語装置を通じて会話はなされていた。

 短い一節ではあったが心に残り、多田さんとご縁のある安田登さん(能楽師)にこのエピソードをお伝えしたところ、多田さんがパソコンを覚えたのは脳梗塞になられてからのことで、それは声を失い、半身不随になってなお「言葉で戦い」続けるためだったという。そのころの多田さんは、同じく脳梗塞になられた鶴見和子さんといのちを削っての対話をされていた。ここには書かないが、晩年の多田さんの生き様、そして死に様をすこしうかがった。

 しびれた。翻ってここ数年の自分を顧みると、松葉舎という自ら創設した私塾の中に立てこもり、言葉を開くことに保守的になりすぎていた気がする。学問はものごとの根底に触れるが故にときに危険で、だからこそ仲間内で安全に議論できる閉じた言論空間が必要になるのだが、それにしても、守りに入りすぎていたのではないか。生命をつつむ細胞膜は、閉じつつ開き、開きつつ閉じ、その矛盾した運動の中でようやく自己をなりたたせている。完全に閉じてしまえば安全のようだが、閉じこもった生命の向かう先は「熱的死」に他ならない。学問の生命を活かすにも、閉じるだけでなく、ときに言葉を開くこと、閉じつつ開くことが必要なのだろう。

 多田さんは名著『免疫の意味論』の著者としても名高いが、免疫とは、閉じつつ開く危険のさなかに自己を形成していく不断の試みなのかもしれない。僕も、自らの思想をうちに閉ざさぬために、言葉で戦う力、思考の免疫力を身につけていかねばならない。

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