友人の父親が自殺したという話。自殺について思うこと

こんにちは。しんごです。

実は最近ふと気になってることがあって、このブログでまとめていきたいと思います。


友人から「父親が自殺した」という話を打ち明けられた

去年の9月の終わり頃、僕と友人2人(以下A、Bとします)で作っていたLINEグループで、友人Aから「明日空いてる?」とLINEがきた。

Aはもう社会人で働いてて、その日は平日だったからちょっと不自然だなとは思ったけど、たまたま仕事が休みになったんだろうなとしかこの時は思っていなかった。

その日はたまたま僕も友人Bも時間が空いてたから、久しぶりに3人で集まってボウリングしに行った。

その後地元で観光スポットになってる山に遊びに行ったんだけど、そこでAから衝撃の事実を打ち明けられた。

A「実は2人には言っておかないといけないことがあって・・・」

僕・B「どうしたの?」

A「実は俺のお父さんが自殺したんだよね・・・

僕とBは思わず言葉を失った・・・。「ウソだろ・・?」としか言えなかった。

詳しく事情を聞きたいと思い、とりあえず山頂の展望台まで行って3人でゆっくり話を進めることにした。

話を聞くと、Aのお父さんは「うつ病」だったらしい。

詳しい理由は分からないけど、うつ病で自殺するということは、本当に誰にも言えない悩みがあったのかもしれない。

もちろんお父さん本人が一番辛かっただろうけど、お父さんに突然先立たれたAの気持ちを考えると、察するに余りあるとつくづく思う。

不謹慎だけど、これがもし病気で亡くなる場合なら、周りの家族もある程度「死」は覚悟できていたかもしれない。でも「自殺」だと何の予兆もなく突然大切な人がいなくなるわけだから、あまりにもショックがでかすぎるだろうと思う。

そのため、Aがこの日に僕らを呼び出したのは、ただ単に予定が空いていたからではなく、父親の葬儀の関係で地元に帰省していたからだったのだ。そして、このことを僕らにきちんと説明しておくために僕らを呼んだのだろう。

それを知ったときは僕もBもめちゃくちゃ悲しかったけど、でも「勇気を持って打ち明けてくれてありがとう」とも思った。だって自分の家族が自殺したなんて他人にはものすごく言いづらいだろうに、こうして素直に打ち明けてくれるということは、Aがそれだけ僕らのことを「友達」として信頼してくれている証なんだと思う。

実際、僕たち3人は高校時代からの長い付き合いだが、ここまで真剣に話し合ったのは初めてだったかもしれない。僕としても初めて「友達」という存在の大きさに気付かされた瞬間だった。


友人の父親と自分を重ねた

Aのお父さんが自殺したという話は、僕としてもものすごく考えさせられる出来事だった。というのも、僕もAのお父さんと同じように「自殺願望」を持っていた時期があったからだ。

別の記事でも書いたけど、僕は大学3年生のときに勉強や人間関係や将来のことですごく悩んで不登校になり、家族からものすごいバッシングを受けたことがある。

両親は今の大学を卒業してほしいと思ってるし、祖父母からも「そんなことで大学辞めるな」とこっぴどく言われた。「そんな家族の期待に応えられない自分はダメな奴だ」って自分を責めたり、いつも親に迷惑ばっかりかけてる自分がイヤになって、「自分なんか生きてる価値ない」と思って自殺を考えていた時期があった。

「生きててごめんさない」と遺書まで書いたこともある。まあ結局死ぬのが怖くてできなかったけど。

でも一旦休学したことで人間関係の問題も解決し、気持ちをリフレッシュして大学に通えるようになって、順調に単位も取れて卒業研究にも無事に着手することができた。

その矢先にAのお父さんが自殺したという話を聞いたものだから、思わずビックリしてしまったのだ。それと同時に、亡くなったAのお父さんと過去の僕を重ねてしまい、ものすごくAのお父さんに同情してしまった。

かつては本当にどうしようもなくて自殺願望を抱いていた僕でさえも、Aのお父さんの件は、あまりの衝撃で言葉を失ってしまうほどだった。

もし、あの時本当に僕が自殺していたら一体どうなっていたんだろうと考えただけでもゾッとしてしまう。家族だけでなく、今いるこの友人たちにもものすごく悲しい思いをさせていたかもしれない。

Aのお父さんの件を受けて、改めて「自分が生きてる意味」というのを考えさせられたし、同時に「命の重み」というのを思い知らされた瞬間でもあった。


自殺について思うこと

よく自殺した人に対して「自殺するなんて家族が可哀想だ」とか「自殺するくらいなら逃げろ」なんて言葉を浴びせる人がいるけど、はっきり言って自殺はそれで済むような話じゃないと思う。

たしかにそう言いたくなる気持ちは分からなくもない。でも、それが出来ないくらい追い込まれている人もいるってことを分かってほしい。

だからこそ自殺した人を責めるのは違うし、自殺したいと思ってる人に向かってむやみに「死ぬな」と言うのも無責任に思える。

重要なのは、自殺する人が悪いのではなく、その人が自殺したいと思っちゃうような環境が悪いということ。

よく「生きてれば必ずいいことあるよ」なんて言ってる人がいるけど、それはかえって逆に自殺したい人を余計に追い詰めてしまうかもしれない。

自殺したい人は人生でたくさんイヤなことがあってただでさえ生きるのが怖くなってるわけだから、むしろ「それでも生きろ」と言われる方がその人にとっては地獄だと思う。

だから、本当にその人を死なせたくないのなら、強引に「死ぬな」と言うのではなく、いかにその人に「死にたくない。まだ生きていたい。」と思ってもらえるのかが大切ではないだろうか?

何の根拠もなしに「生きてるといいことあるよ」なんて言われても、自殺したい人の心には到底響かない。もしその人に死んでほしくないなら、自分がその人をより良い環境に導いてあげるように、周囲のサポートがそれなりに必要だろう。

世間では「自殺はしてはいけない」みたいな風潮が強いけど、僕は個人的に「自殺はしてはいけない」とは思わない。

しかし、かと言って自殺は安易にしていいものでもない。それでも「自殺」という道を選んでしまう人は多い。

だから僕はこう思う。もし自殺しちゃった人がいたら、それはある意味「仕方のないこと」だと。

もちろん、それで人が亡くなってしまうのは悲しい。だけど、自殺を選んでしまう人にも絶対にそれなりの理由はあるはずだし、間違いなくその人がいた環境に問題があったはずだから、決して本人が悪いわけじゃない。

例えば、学校や職場でいじめられていたり、人間関係で悩んでいたり、パワハラを受けていたりなどなど…理由は様々である。

でもこれらに共通してるのは、こういった環境の問題は本人一人の力じゃどうにもできないということ。

これだけ辛い目に遭ってたらそりゃあ生きてるのがイヤになるのも当然だし、それで学校や会社辞めたりなんかしたらますます自分に自信が持てなくなるだろう。

まあそのような環境からはすぐに逃げるのが正解だけど、逃げたからといってすぐ気持ちを切り替えられるほどタフな人間ばかりじゃない。

人によっては逃げたことによって自信を失って自己嫌悪に陥ることがあるし、その結果「自殺した方がマシだ」という結論に至る人も少なくないだろう。

それでもしその人が誰にも相談できずに「自殺」という選択肢をとったとしても、その人がそう判断しちゃったのなら仕方ないことだと割り切るしかないと思うし、自殺したその人自身を責めることもできない。

でもだからといって、自殺したいと思ってる人を見殺しにしろと言いたい訳じゃない。

もし自殺したい人を救いたいなら、間違いなく周囲のサポートが重要だし、日頃からその人の心に寄り添ってあげるのが大切だと思う。

先程も言ったが、その人にむやみに「死なないで」というのではなく、その人が「死にたい」と思う気持ちをあえて肯定してあげるのが効果的だと思う。

「そりゃあ辛いよね…死にたくもなるよね…」といった感じで。

その方が、その人も「やっと自分の気持ちを分かってくれる人がいた!」と心を開くと思うし、貴方を信頼してくれるかもしれない。自殺したい人は「自分の気持ちを分かってほしい」と思っていることが多く、「生きること=辛い」というイメージを強く持っているため、あえて辛い気持ちに同情してあげると自然と心を開いてくれる。

だからこそ、生きづらさを抱えてる人に寄り添ってあげられる環境を作ることがこれからも求められると思っている。

僕にとっても今回のAのお父さんの件は非常に考えさせられたし、これからストレスのない社会を作っていくにはどうしたらいいか考えるきっかけにもなった。

人が亡くなったことはすごく悲しいけど、それでも彼のお父さんが僕らに与えてくれたものは大きいと思う。

僕自身、この社会に生きづらさを抱える原因は何なのか、また、それを克服する、もしくはそれから逃れるにはどうしたらいいかという問題にとても興味があるので、これからももっと知見を広げていきたいと思う。


それでは。




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