相手の気持ちを考える

私の苦手なことである。最近は認知機能が低いからとか、寝不足だからとかいって逃げていることが多いが、さすがにこの歳になると最低限のことはできるようになりたいという思いになってきている。どのぐらい相手の気持ちがわからないのかをはっきりするために、妻から私の気持ちのわからなさ加減を言ってもらった。子どもが生まれた頃から現在の小学校2年生になるまで、毎週欠かさずサーフィンに行くことが信じられないという話の後に、本当に相手の気持ちがわからないよねとはっきりと言われてしまった。どうしたらいいのだろうか。どうしたらこれを改善することができるのだろうか。困った時には最近はいつもchatGPTに相談している。この日記を書きながら相談してみると、解決策を7つ程提案されたが、そのうちこれだと思ったものが相手の視点に立つという方法である。私は相手の関心に耳を傾けることは意識的に行うようになってきているが、最近はCPUをそのことに使うことでパフォーマンスが下がってしまうと感じるようになり、あまり色々なことを考えないようにしている。ただ、本当にそうなのだろうか。周りの人のことに意識を向けずに自分のことばかり考えることで、結局は仕事のパフォーマンスが低下しているのではないだろうか。このことについては週末にでもchatGPTに相談してみようと思う。今日の日記のテーマも、渡邊美樹さんの本を読んで思いついたものである。渡邊美樹さんは、幼少期に母親を病気で亡くしているが、その母親から一度しか叱られたことがないという。その一度叱られたことというのが、母親が買ってきた光沢感のあるピンク色のような色のパジャマをこんなのいらないとハサミで切り刻んだ際に、母親が座りなさいと叱り号泣した時に、私がどんな思いでこのプレゼントを選んだかという話をしたようである。そのことが人の喜びや悲しみを想像することの原点になっているという。私は最近出勤ぎりぎりまで日記を書いている。そんなこんなな状態なので、出勤時間が遅れひやひやしている。この冷や冷やした気持ちは私だけでなく、妻、職場の同僚ももしかしたら同じかもしれない。一日のうちに数回でいいので相手の視点に立つということをこれからルーティンにしていきたいと思う。ストレスはかかるがそれが社会の中で生きるということである。

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