【共通テーマ】起きたら女になっていた

この記事はスパンキーメンバー数名が同時に同じテーマで記事を更新するというコラボ企画に参加したものになります。
今回のテーマは『起きたら女になっていた』で参加者は、ひこーき雲佐藤・センサールマン山﨑仕事人・ボーカル・単細胞・クリスピーチーズ市川・純情ポパイ昨今まれに見る山田の6人です。


(小説)「夜更けのバーにて」
 
「それで、つまり君は元々男の子だったわけ?」
 僕はおずおずと質問した。
「元々も何も、今だって中身は男の子よ。」
 ピスタチオの殻を剥きながら、彼女は事も無げに言った。
「だって君は喋り方から身のこなしまで、どう見ても女性じゃないか。」
 僕は主張した。何しろ彼女は目の眩むような美人であるばかりか、その洗練された身のこなしは、このバーのスツールに腰掛けているだけで辺りの雰囲気をパッと華やかにしてしまうほどの完璧な存在だった。まるでバーの妖精みたいだ。あるいはロマンスを求めてバーに足繁く通う男たちの欲望の化身のようだった。そんな彼女がついこの前まで普通の男子高校生として生活していたなんて、ちょっと信じられるものではない。
「でも実際にそうなのよ。」
 彼女は言った。
「それに、慣れてしまうと案外しっくり来るものよ。中身のほうが身体に寄ってくるわけ。」
 そう言われてもまだ僕は信じられなかった。さっきからカウンターの端からチラチラと彼女に目線をやっているスーツ姿の中年の男性だって、今まさに僕と彼女が“朝起きたら女になっていた話”をしているなんて夢にも思わないだろうし、また実際にそれを聞いたとしたら、悪い冗談だと腹を立てるかも知れない。
「それで君はどんな男の子だったわけ?」
 僕は聞いてみた。
「どんな男の子だったか?」
 彼女は目を細めて僕の方を見た。とても素敵な目の細め方だった。目尻に小さな皺が寄って、それがより彼女をチャーミングに見せていた。
「そうね、ごく普通の男の子よ。サッカー部に入っていて1軍と2軍の間を行ったり来たりしていたわ。特に試合で活躍するといったタイプでも無かったの。成績は中の下。初めて女の子と付き合ったのは17のとき。近くの女子校の女の子よ。全くの偶然で知り合ったんだけど、この話は長くなるから今はやめておくわ。肉体関係は無し。マスターベーションは1人で毎日していたけれどね。他に聞きたいことは?」
 そう言われても、すぐには質問が浮かばなかった。実際に女と身体が入れ替わったなんて男の子がいたら、聞きたいことは山ほどあるはずなのに、いざ本人を目の前にすると何から質問していいのやら分からなくなってしまうのだった。もちろん、実際に彼女が元々男の子だったとすれば、ということだが。
「それで、彼女の方は今どうしているのかな?」
「彼女の方?」
「今君が中に入っている女性の元々の中身という話だけれど。」
 彼女は皿の中のピスタチオの殻を剥き終わってしまうと、それを指先でつまんで退屈そうに口の中に放り込んだ。セクシーな仕草だった。彼女の口の中でピスタチオがカリッという小気味のいい音を立てた。
「そうね、案外上手くやっているんじゃないかしら。こういうのってほら、慣れの問題だから。」
 彼女はそう言うと、グラスの中に残っていたジン・トニックを飲み干した。
「さあ、そろそろ行かなくちゃ。待ち合わせがあるの。」
「待ち合わせ?」
「ええ。この身体はこの身体で中々忙しい日々を送ってるみたいなの。」
 そういうと彼女はニッコリ微笑んだ。まるで今二人で過ごした時間をしるしとして残すみたいに。彼女が行ってしまうと、あとにはテーブルの上のピスタチオの残りと、彼女が飲み干したジン・トニックのグラスだけ残されていた。グラスの縁には彼女の濃い口紅のあとが付いていた。僕はしばらく、彼女の残して行った微笑みの余韻と甘い香水の香りの中で、彼女と交わした会話を思い返していた。“朝起きたら女になっていた”?そんな突拍子も無い会話の後で、僕はうまくものを考えることが出来なくなっていた。僕の隣のスツールには、さっきまで座っていた彼女の存在がまだくっきりと残されていた。やがて僕は新しくウイスキーを注文するとゆっくりとそれを飲みながら、「全くの他人の身体でこれまでと全く別の人生を生きる」ということについてぼんやりと考え始めていた。


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