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自我が絶命する場所

2018年02月21日 21時18分57秒 | 宇宙・幻想の終わり

それは、真空のところ、

竜巻の中心のような、

同一化ストップしてしまうところ、

決断の余地をでっち上げる以前、

分離の終わりであり、分離のはじまりだったところ、


夢見の無意味性が認識され、それが目的にされた心が

そこにいれば

もはやスクリーン上で核爆発が起きたとしても

そこにいれば


やがて自我は絶命する。



そこにいなければ意味がないことに

やがて気が付いてくる。


至福を感じているかどうかなんて

もはや関係ない。



言い訳のすべてがストップして

そこにいなければ意味がない。



もちろん、そこに留まることが

誰にでもすぐにできるわけじゃないし

できないからと言って、それでいいわけでもない。


そこに留まる状態であろうとすることを邪魔しているのは自分であって

自分で自分に罠を仕掛けている。

自分で自分に呪いをかけている。


飴だったり、ムチだったり

もちろん自作自演だということはバレないようになっている。



いずれ、そこから見つめられてゆく。



そこにいられない原因は、沢山の「私=パーソン」

という呪文で覆い隠しているから

「私=パーソン」このような被害者、このように苦しんでいる

その原因は世界、人生のトラウマ、兄弟のせい

そう思っているさまざまな思いで、覆い隠しているから


泣き叫びがあるとも思っていないくらい

沢山の泣き叫び、苦しみ、悲しみ、絶望が

それではないように振舞われ、冷却されて氷山として凍ってしまっている。





それが隠していたところに進むために

沢山の感情を通ってゆかなければならない。

それは、自分が見離してきた自分の泣き叫びだった。


けど、見離されていたので

見つけてもらったら、安堵するかも知れない。


まずは、そこから取り掛からないとならないのかもしれない。


うーーーん。沢山の絶望感、、あるある。

通り過ぎる、それが一般的。。。


しっかり認めていきながら、聖霊とともに

自我が絶命するところにたどり着いてゆく

そういう夢なんだろうな。




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