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【16】黄金律と私の知覚はどう関連する?より

8月初旬から9月初旬まで、今度はラファエルがメキシコに滞在することになった。彼の出国前後はほんとうに慌ただしいものだった。いつものことながら、本当に密度の濃い日々は続いている。笑

ここで文章化することは難しいのだけど、この人生で経験したりチャレンジしたことのないようなこと、個人的に思ったことも願ったこともないようなことにラファエル不在の中であっても、みんなで直面している。
そして、これがガイダンスなのだろうと腑に落ちている。




「イエス・愛の福音」 デイヴィッド・ホフマイスター
"Jesus: A Gospel of Love" by David Hoffmeister


「7. How Does What I Perceive Relate to the Golden Rule?黄金律と私の知覚はどう関連する?」より、いくつかの文章を抜粋しています。
仮翻訳段階ですが、ハートで受け取っていただければ幸いです。

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。(マタイによる福音書 7:12)
〜 中略 〜
私たちが赦しで行うすべてのことは、ただ、幻想をさらけ出し、それを解放することによって、私たちが愛せるようになるという感覚です。そうすることにより、私たちは自分自身を愛するように神を愛し、隣人を愛することができます。
自分ではない誰かを愛するようなやり方ではなく、文字通り、自分自身として愛します。本当に文字通り、私たちには、ただ輝きを放射させたいと望み与えるままに受け取る、この自己愛があります。私たちは祝福されています。 私たちが自分の意識と自覚を通してより多くの愛を注げば注ぐほどさらに、この愛の威力に気づきます。だからこそイエスは、自我の問題は利益を交換し合う信念だと教えていたのです。
「あなたが私の背中を引っかいたら、私もあなたの背中を引っかきます」それは黄金律の正反対です。聖書で書かれていることは、すべて黄金律についてです。自我は単にそれをひっくり返しました。私たちが兄弟姉妹から何を獲得できるか心配するあまり、与えることについてのすべてを忘れてしまうのでした。福音書はすべて「ただで受け取ったのだから、ただで与えなさい」と述べています。

私はすべてのルールを破ってきました。私はただ旅をして、分かち合って、話して、輝いて、癒して、いろいろなことを無償でしようと決心しました。

そして人々はこう言いました。
「まあ、デイヴィッド、遅かれ早かれ君は学ぶことになるよ。無料の昼食なんてないよ」
「それに、ここは死と税金の世界だと君は学ぶだろう。そして、自分は与え続けることができるという考え、そのうまい話全体がいかに愚かだったかを学ぶだろう」「ただ与えて、与えて、与えるなんてムリだよ。自分の身体の面倒も見なきゃ、そんなモードじゃ生き延びていけないよ」

そして私はこう思いました。ちょっと待って、イエスは僕に別の指示を与えているんだ。イエスはこう言います。

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」 (マタイによる福音書 10:8)
あなたはこの輝かしい幸福と叡智と平安のすべてを受け取りました。今度は、それを与えなさい、それをどこにでも与えなさい、遠慮せずに与えなさい。

これは、私の試みだと言えるのかもしれません。すごく素晴らしいので、この試みを録画しようと決めました。そして、それをインターネット上で共有し無料であちこちに置けば、興味のある人なら誰でも自由にアクセスできます。私にとって、それは本当に祝福でした。
そうすることによって、利益を交換し合うというシステム全体、需要と供給のシステム全体、欠乏と不足のシステム全体が、たったひとつの誤りに基づいていることが明らかになるからです。この誤りから脱出する唯一の方法は、逆方向に進むことです。

「わかるだろ、僕はこれ以上そんなことに同意する気はないんだ。私の内側で豊かな愛と宇宙が待っていると信じ、私がしなければならないのは、それを自分に体験させるために、この誤りを手放すことだけです」
私が信じているのはそういうことで、私はシステム全体に逆らうつもりなのです。

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