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↑この写真は今年4月の熊野旅から。

昨日〜今日(7/6〜7/7)東京にいたのだけども
この2日間は、私にとってものすごいWake up callのシンボル的な記念日だった。

旦那がバイクで事故ったのが2012年7月6日、旦那の肉体が息を引き取ったのが2012年7月7日、次女の誕生日が2000年7月7日。次女の出産のため陣痛促進剤をMAXまで注入してふんばってたのが2012年7月6日。

この記念日が関係するかしないかはわからないけども。。ますますやばい感じ(ポジティブな意味)になってきた。

すげえよ、やばいよ、
って証拠となりそうなストーリーはいくつでも語れるけれども、それより

体感が何だかすごい。

気を抜くとハートがビリビリに破けていく感じ。
でも、それがまあまあ危険じゃなくて安全で、よろこんでビリビリ破けていく感じ。で、その破れたハートの風穴から慈愛がなだれ込んでくる。

ハートは開かれていき、その扉から愛が愛によって世界を眺めている。

その愛のみが本物で、それ以外の変化していくものは全部たわごとに過ぎず深刻に受け止めたり、相手にする必要もない無意味で無価値なトリック、魔術。


 このタイミングに都内に来たのもすごく良かったみたい。

私は15歳まで都内に生まれ住んでいて、小さい頃から10代まで銀座とか有楽町とか池袋とか上野とか、プラプラ遊ぶ憩いの庭のような感じでよく来ていた。

今回は銀座、秋葉原、池袋、新宿をまわったのだけど

やっぱり私はこの肉体として都内を歩いてないんだわ。という感覚が強まっていく。

文字通り、ロールプレイング・シュミレーションゲーム内の【キャラクターの私が都内を歩いている】のを見ている者が「私」

その「私」はシュミレーションゲームの中での展開を深刻に見ることができない。というのが普通の状態。

次はどこで何をするのか?(ガイダンスは何か?)とか

お金の計算とかビュンビュンしなければならないわけだけども

「え?これ買うの?完全に予算の倍は超えてるけど」とか

そういう状況で何を買う、買わないを決めるわけだが、残念ながらそれらを決める主体は私ではない。

あのお方がすべてを見渡して、人生の終わりの地点、世界の終わりの地点から「これね」と言っていることに対して抵抗するのをやめる。それが私のしごと。という感じ。

そういう聖霊のプランを淡々とすすめていく中での、あらゆる具体的な指示やガイダンスに従い、NOと言わない訓練(拒絶しNOと言う気力の方が減退してきてる、NOに価値がないのを何度も経験してるし、YESは愛に満たされるのでそれが好き)

 都内にはこの世界でいうところの普通っぽくない人がうじゃうじゃいるので、それが当たり前と思って幼少の頃から生きていた。

東京以外をあまり知らなかったので、どの土地もそんなもんだろうと思っていたけど。どうやらそうでもなかった。

圧倒的に違いがありそうに見える、無数のキャラクターたちを眺めながら

本当はプログラムがあるだけで、その影(粒子のふるまい)は無で、彼らの本体は神の臨在、愛、光だ。という感覚。

このような心のレベルの奇跡もふんだんに与えていただいた2日間だったし、形のレベルでもたくさんのサプライズギフトを与えてくださった2日間だった。

イエスは、どうしても証明したいのだ。何を使ってでも証明したいのだ。

「私があなたをどれほど愛しているのか、どうか知ってほしいんだよ、見てほしいし、受け取ってほしいんだよ、受け取ってよね」と、おせっかい以上のケアをしてくれる。

これで信じないなら、何によって信じるのか?

抵抗なんてバカバカしいのだから、どんどん捨てて、もっともっとサレンダーしていきたい。
さらにさらに妥協をやめていくよ。

本当は誰にも、愛が溢れ続けるのを止める力はない。
自分以外の誰も、それを止めることはできないのだ。



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