役に立つこと、世界や人の助けとなることってなんだ?
多分、私は役に立ちたいとは考えていない。助けになりたいとも考えていない。いわゆる、個人として人としてキャラクターとしては断然無理な感じがする。それは意識的にはできないことなのではないか?と思う。
意識的であればあるほど役に立つとか助けになるとか、、からは遠のく。
私には高校生のときに猛烈に大好きだった男子がいた。
両思いにはならなかったけども
彼はただ存在してくれていて、ただ与えてくれている人だった。
彼がただ彼であってくれるだけで私の心の支えだった。
もちろん、彼は自分がのり子に何かをしたとは全然思っていない。
でも、私に必要なことをしてくれた。
私が話したい時に長電話につきあってくれるとか、私の父へ対する憎しみについて聞いてくれたとか、彼自身も家族に対する思いを打ち明けてくれるとか。でも、彼にとっては何も意識的でなく私を助けてあげてる気もなかった。
でも、とても率直で正直で嫌なことは嫌と言い、
ヤンキーでもなく真面目な生徒でもなく普段は無口なのに、ちょっとイカれた英語の先生の授業中の理不尽さに対して反論し先生と大喧嘩になるとかをやらかし(当時、先生の挑発は相手にしないのが一番の対処法だった)
彼は偽らず演じずいつも透明に見えた。
そんな彼の存在そのものが、私にとってダークネス一色の高校時代に光を灯してくれた。
6年前Facebookで彼を見つけてFB友達になり、彼が私にとっての恩人だったことを伝えたら、自分がそんな風に与えたような気はまったくしないけどもと言っていた。まったく驕らない。
結局、「私は与えている。与えている。助けている。こんなにも助けている。役立っている」と知覚している時は、さほどでもないのだろうと思う。
私たちは、ひたすら真っ直ぐで、正直で素直で透明であればあるほど
どんなにぶざまでも、悲惨でも、その真っ直ぐな心の状態であることが
まさにこの世に役立っていて、助けていて、与えているんだろうな。
そういう意味では、私はそうありたい。
助けになる者を目指さなくとも結果的に真に助けになるのであれば
透明でありたい。
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