見出し画像

最も柔らかい場所を露出したままに

「ハートの奥の一番柔らかい場所をあらわにしたままに」という指令なのか、祈りなのか、決断なのかわからないけど、この声に従っている。

心の奥の、一番柔らかくて、隠したくて、防衛したくて、触られたくない場所を、あえてあらわにしたまま自力で保護するのをやめることで、神に対抗しなくなる心に戻っていくらしい。

神に対抗して、神から自分を防衛するのが良きこと、自分にメリットがあることだと信じてきた。
なぜか?というと自我に自分の信じる力を与えてきたからだった。

自我に信じる力を与えることにした理由は、自我に力を与え、それを維持して分離したままでいたい、自分を裁き苦しませたいという誘惑、中毒、病的症状だったから。

病気なので識別能力がまるでなかったのだ。

今、少しずつ識別能力・弁別能力がましになってきていて、自我の思考と聖霊の思考の歴然とした違いが明確に見えるようになってきていて、自我の思考が驚愕どころじゃないあからさまな超絶狂気的な、無価値で無意味な思考なので、その声がどんなに堂々としていても、どんなに大きくても、どんなに説得力がありそうでも、その声に自分の信じる力を与える気が起きない。
起きたとしても、それを深刻に見る気がしない。

自己の捏造を、捏造として認識できるとは本当に幸いな事で、聖霊のおかげさまで、恩寵のおかげさまなのだった。

神が実在で、愛が実在で、自我が非実在で、恐れが非実在だったからこそ
私たちはもともと、救済される以外に道がなかったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?