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心の中が教室。世界、人生、日常は道具/教材/問題集

「やっぱりこれは書いておいた方がいいな」と思ったこと。

この歩みの初期の頃は奇跡講座的に言うと
この世界が教室だ」と思っていた。
ワプニックさんがそう言うのだからそうに違いないとなんの疑問もなかった。でもなんだか最近はその見方がヘンだなと感じるようになっていた。

すると、サインなのか
数ヶ月前にデイヴィッドが「心(の中)が教室なんだよ😄と言ってたのを聞いてストンと腑に落ちた。

きっと前々から、そのような言葉は耳に入っていたのだろうけども
その時はまだ「やっぱりそうだよね!」とはならなかったのだと思う。

【教室】とは訓練がとり行われている場所。
私たちが狂気から正気へ、病気(分離を信じている状態)から健康へと戻っていく訓練がなされている【現場は心の中】なのだ。

世界とは、人生とは、日常とは
自分が自分を騙して、自分ではないフィギュアを自分だと信じ込ませ続けるための【大道具小道具】にすぎなかった。

だから、世界とは、人生とは、日常の全てとは
教室じゃなくて教材・道具だったのだ。

私たちはずーーーーっと、教室の中にいる。

教室から離れることはない。
教室の中でみんな一緒にいる。
というか、教室は一つしかないし生徒も一人しかいない。

神からの最後の一歩の中で
教材も道具も教室も真理の中へ消える。


2月合宿に沖縄から初参加してくれた、しょうこさんが合宿最終日にみんなと離れて帰宅しなければならない悲しさについて語ってくれた時に、このことを話すのがいいと感じてシェアしたのだけども

本当に私たちは、いつも同じ場所にいて
聖霊と一緒にこの問題集を解くのか?
自我と一緒に問題集を解くのか?
を学んでいる現場にいて、そこは心の中という教室なので

沖縄という、かつては自我の計画としてつかわれてきた大道具(演劇の舞台を彩っている道具)の中にしょうこがいるのではなくて
その沖縄設定のシュミレーション仮想空間を眺めている【心という教室】に、しょうこはマイティーコンパニオンたちと一緒にずっといるんだよね。と話したのでした。(実際一者だから)

葉山にいると思っているときも、沖縄に帰ったと思っている時も
その大道具に囲まれた時空間に「私」がいるわけではない。

私はずっとみんなと一緒に心の中の教室にいるんだ、離れることは決してないので誰とも離れられないんだ。

と思い出し続けていきたい。

と言うか、私の中では段々とそれがリアルになりつつある。

私にとって、世界という仮想空間、教材をもとに
心という教室の中で一つの心が学習をやり直していってるように感じる。そこに全員いる。

全ての過去の学びが白紙に戻されていくために。

贖罪は最後のレッスンである。学びそのものは、それが起こる場所である教室と同じように、一時的なものである。学ぶ能力は、もはや変化が必要でなくなったときには何の価値もない。T-2.Ⅱ.5:2 奇跡講座テキスト



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