わたしも含めてオタクの語る推しは虚構の存在かもしれない


こんばんは、カクトひかりみずです。
最近はちょっと仕事の、職場の人間が非常に嫌だなと感じているこのころ。
その人だけいなくなってしまえばいいのに…と思うこの頃です。
まあそれはそれとして、本稿は、割とあっさり書く予定です。
論述しようとは考えていませんのであしからず。


これまで私はずっと、声優の渕上舞さんのことについて語るnote記事を書いてきました。

それらをずっと記述してきていて、私の中で、いろいろと固まっていくものが見えてきたのですが、それは何か虚構ではないかと思い始めているこの頃です。
虚構…というと、ずいぶんな言い方だなと自分でも思ってしまいます。
でも、自分が、というよりは、オタクはどこか、自分の中の理想を、推しに重ねてしまうのだろうなと思います。
たぶんなのですが、私のnote記事にうつる渕上舞さん像を、正直なところ嫌いであったり、「なんかそれだけじゃない」と思う方もいるのだろうなと思っております。
もしかしたら、本人も、本人の周りのスタッフも、そのように思う部分もあるのかなぁと思います。もちろん間違いではない。
でも、それも一側面でしかないのだろうなと思います。

それがすべてではない、それが虚構というのもちょっと違うのかもしれないが、それが100パーセントではない。
あくまで30パーセントくらいの要素でしかない。
ところが、それを自分の中で自己増幅して100パーセントにしてしまったとき、虚構になってしまうのだろうなと思います。


さて、そんな気づきを得たのは最近あったちょっとした事件。
どの事件、どの人が関わっているかは、あえて明示しません。
とあるオタクのアカウントが、ご本人と疑われてしまった事件になります(もうここまで説明すれば、たいていの方はわかってしまうのが悔しい)。
ちなみに私は、本件は、ご本人ではないと思っている立場です。
また今後お話ししていくことも、それを前提としてお話させていただきます。

そもそもそのオタクのアカウントが本人と疑われてしまった理由として、発端になったとある公式のツイートが誤爆らしきツイートであったことになります。
そのツイートの、文体というか雰囲気が、どことなくそのオタクのアカウントに似ているということから騒ぎが始まりました。
そしてそのオタクのアカウントが、ご本人そのものであれば大変問題な内容が多いという話です。

そもそも不思議なのは、その公式のツイートが、ご本人の発信というものはまだわかるものの、そのよくわからないオタクのアカウントの人格に似ているというつながりです。
どうしてそのようなつながりになってしまったのか、ファンの方々としては非常に不思議でしょう。

改めて言いますが、この件について詳しい経緯などはご説明いたしません。
ただ、そのオタクのアカウントが、非常に自身の推しに対して、狂気的で、かつ持ち上げ的で、非常に自身の理想像をかなえている存在だったと思われます。

でも、そのご本人の存在を詳しく知る方々は、「あのアカウントは本人ではない」と、口をそろえて述べています。私も、同じ思い、いや同じ「感覚」です。

でも、それを本人だろうwと述べているのは、言ってしまえば、本人のファンではない、外野であったり、もしくはファンであろうけれども、ご本人のことをよく知らない、いや「感覚的に」本人とフィーリングが合わなさそうな方のような気がします。

なぜ、そのようなことが起こってしまったのか。
思うに、そのご本人のファンの方々が、これまでツイッターなどで口をそろえて、本人のことを述べているその内容が、本稿前文で述べた「虚構」だったのではないかと思います。
そう、ファンが述べるそれは、本人の実態ではない。あくまで、本人が、自身の人生経験、考え、信念、環境、下手すれば自身のDNAレベルで感覚的に感じる、その要素が織りなす理想像なのではないかと思います。
その理想像が、どこか、ご本人にかぶさるところがある。
でも、それはあくまで50パーセントかそれくらい。
ご本人と100パーセント合致するわけではないといえるのでしょう。
でも、そのファンたちの述べる、ご本人の姿(虚構)のその声が集まって、虚構の本人ができあがる。
そして、その虚構が、本人の実際の姿であると、ファンではない方々に「認識」されてしまうのではないかと思われます。

非常に難しいお話をしていますね。私も自身で何言ってるんだかわからなくなってきました。
まず、ファンは推し本人の本当の姿を、残念ながら全部は知らない。
だからあくまで自分の中にある理想像で「補い」ながら、推しの姿(内面)を、自身の中で完成させる。
そしてその推しの姿を、みんなで持ち上げながら「声」にしていく。
その「声」を通して、実際は虚構であろう姿が周りに認識されていく。
そして、その虚構の姿は、たぶん、ファン一人一人の姿と、人格的に同型である可能性もあります。

そうなったときに、つながるのは今回騒動になった、「本人ではないかと言われたオタクのアカウント」。
そう、そのオタクのツイートは、その虚構の姿を確かに実体にしたかもしれない存在であった。
でも、本当に、よくそのご本人を知る方々は違和感を感じる。
それは本人ではない。
そう、ただの気持ち悪いオタクだった。でも、ファンが声に出すその理想の虚構と同質だったのかもしれない。

本件について述べるのはここまでにしますが、私はこれに気づいて、これまでnoteに書き散らしてきた渕上舞さんの姿について、悪い影響もあるであろうなと思いました。
もちろん、渕上舞さんも普通の一人の女性であります。
みんなのアイドル~などと謳っていますが本当に普通の、きれいな女性です。

だからこの記事で述べたのは、私が書き散らす人たちの姿に惑わされないでください。
本人たちの実際の姿を、自分で見て、自分の頭で、自分のフィーリングで見て判断してください。


追記になりますが、その騒動についてもう一つ。
その騒動、というより、ご本人の評価や影響について。
本人は確かに、鳴かず飛ばずの時期を経験し、良い役をもらってその地位を確立させたのかもしれない。
その評価は間違いはないだろう。
しかし、そういった評価を受けるのは、実のところ他にもそういった方々が存在する。
そういった方々を、無視とまでは言わないが隅において、彼女を持ち上げるように評価するのは、確かにそれは違うことであろう。
それはまさしく虚構を生み出してしまう。おそらく今回の騒動、そういった隅に追いやられてしまった人たちの恨みもこもっているような気がする。
確かに今回の騒動は、そういった「他」からの悪意を感じるものであった。

一方、虚構を持ち上げられた本人の実態はそうではない。
本人は、もっと自分以外の人たちが持ち上げられてほしい、評価されて欲しいと願っている。
それを間違いないと感じるから、今回の騒動で疑惑となったオタクのアカウントは、はっきりと違うと言える。
本人の思いと、その本人を持ち上げたいと願うファンたち、そしてファンたちが持ち上げる虚構によって自分や自分たちの推しが隅に追いやられてしまった人たちの恨み。
そういったもののひずみが生み出した結果なのではなかろうか。

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