声優・渕上舞さんの歌詞の好きなところ・良いところ(募集企画)

みなさんこんにちは。カクトひかりみずです。
2022年も終わりが近づいてまいりましたね。
皆様にとってもよい一年でありますように。
そして来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて早速ですが、本日はお題のような内容になっております。


10月の頭にこのような企画を行い、ツイッターで募集しておりました。

そこから集まるのを待ちつつ寝かせておいたのですが、流石に年を跨ぐのもどうかと思うので、noteにて、皆さんの投稿をまとめさせていただきたいと思いました。

掲載は順不同になっております。


この曲も登場してから3年以上が経ちますね。
当時はその歌詞にある「奇跡なんて蜃気楼」というワードが面白く、「残業なんて蜃気楼」「昇給なんて蜃気楼」という大喜利がツイッター上で始まったのでした(私の観測範囲でですけれど)。
さて、この楽曲についてはこんなコメントが。

”奇跡なんて蜃気楼”がまったく救いがなくてそれが妙に心地良い。 普通の歌ならば最後になんらかの、一言でも救いの言葉があるものだけど最初から最後まで救いがないのはとてもめずらしい。だがそこがいい。 でも、歌詞だけだと救いがないけど、実は裏の何処かで”咲き誇る雪の花”で救いを求めているのかもしれない。

このようなコメントをいただきました。この楽曲も、私やほかのファンの方が散々手あかがつくほど様々言及した覚えがありますが、やはり改めて聞くと「救いがない」。でも、私は常々思うのですが、どこかそこに温かさを感じるのは、渕上さんの歌声のなせる業なのでしょうか。
「咲き誇る雪の花」を、まさに歌声で表現しているのかもしれませんね。



この曲のラストに”靴紐結び直して 大きく息を吸って ゆっくりで良いんだ 寄り道も大事” と、いう歌詞があるがこれも渕上節と言われるものだろう。舞さんの特徴である、がんばりすぎない、嫌になったら辞める等の他のアーティストにはない辞めても、逃げてもいいという優しさが含まれている。 具体的かつどちらかというとマイナスに捉えがちな逃げる、辞める、立ち止まるををプラスに肯定し包み込んでくれる優しさ。 それが渕上節である。これが舞さんからの包み込まれるような優しいメッセージである。

というメッセージをいただきました。このメッセージをみてふと思ったのは、昨今、体調を崩しやすい声優さんが多いこと。このご時世だからというのもあるのでしょうが、やはり声優さんの仕事の世界の辛さが垣間見えます。そんな中、渕上舞さんの無理しない、寄り道しても良い、というようなメッセージには心打たれるものがありますね。


「部屋の窓から見る花火」の二番サビが好きですね。情景がリアルに思い浮かべやすい歌詞である&純粋さとそれを聴かされる側の気恥ずかしさを強く感じるので床になります。

この曲については私も何度か床になっています笑
コメントにあるように、とてもリアルな情景なのですが、よくこのような歌詞を作れたなと、いつも感心させられます。実はリアルな体験なのでは?と勘繰ってしまいますが、まあそこはおそらく妄想なのだろうな。と。
渕上舞さん楽曲初期のものにしてなかなか完成度高いカップリング曲。


"ゴミ箱に投げ捨てたのは背伸びした日のピアス" この曲に触れた時、真っ先に目が行ったのがこの一節です。 倒置法とも取れる表現がされたこの文、「投げ捨てた」を強調したいのだと思っています。 この主人公は過去に、自分には合わない背伸びをして頑張ってきた日々がある。それも人の歴史の一つでしょう。しかし今ではそれを投げ捨てたい感情にまで、心が落ち込んでしまっている。 いったい何があったのか? 何が主人公をそうさせたのか? 主人公の過去と今に興味が湧き、一度そうなると想像力が働いてしまう。そんな大事な一節です。

この曲。私個人はどうしても好きになれない曲であったりします。それはなぜかというと、どうしてもとある方の辛い過去をイメージしてしまうからです。と言っても本当にどこまで辛い過去だったのかは知る由もありません。コメントにあるようなその「背伸びした日」というのは、似合わず無理をした自分への反省なのかなとも思います。様々な点で過去を思わせる、そんな歌詞。

"ほらユートピア" 私はこの曲がリリースされる前から「ユートピア」という言葉とは軽く関係があり、どちらかと言えばマイナスな意味・印象で捉えていました。その為、この曲中で出てきた時はビックリ。1番の終わりに来るこの一節ですが、それまで散々明るい・楽しい言葉を並べて雰囲気を作っていたのに、最後のこのフレーズ一つで全てひっくり返す。
もはや言葉のアートだと思っています。

「Love Summer!」の「明日だって明後日だって憂鬱な日は続くけど今日だけは忘れて舞い上がれ」ですね。 楽しいことが終わってしまった後、日常に戻ることを不安に思った時、この歌詞を思い浮かべて楽しい今を全力で味わおう!という気持ちにさせてくれるからです。

こちらの曲については、2人の方からコメントをいただきました。この曲はMVを見ればわかるように、非常に楽し気でゆかいな様子が描かれるのですが、その一方では歌詞の中に先行きの暗さ、明日への不安も描かれていたりします。そういった、マイナスな面もところどころ強調されているのがポイントですね。

「ハラ・ヒラ・フワリ」より "くだらない嘘に塗れた世界 花は知らぬ顔で空を見上げる" この一節は、ものの見方を変えるという点では非常に共感できた覚えがあります。 「花は綺麗で勇気をくれる」 「花を見ていると心が癒やされる」なんて風なことよく言いますが、これはあくまで一つの見方に過ぎない。 「自分はこんなにも傷付いて不安でいるのに、花は知らん顔。見て見ぬふり。だから咲いていられる。」 というような視点を変えたメッセージが伝わってくる一節です。 ※私は別に「花は癒やされない」と言いたい訳ではありません。

なんというか、よくも悪くも花はあなたに無関心というところでしょうか。無関心というのは、ある意味人に干渉せず、人にとっては楽な存在です。その干渉しないという点が、見る者にとってプラスでもありマイナスでもある。色々と花の哲学を感じさせます。

『Journey』より "でもね必死に繕ってきたんだ" 生きづらい世の中。生きづらい性格。2つのやり辛さで、よくボロが出そうになる。ちょっとしたものなら後悔もある。でも自分を壊すわけにはいかないから、ギリギリのラインでやり過ごしたり繕ったりしてきた。こうしてきたのが正解なのかは分からない。「良い」や「悪い」ではなく、この楽曲の主人公の素直な現状、思うこと。そういったものが集約されたのが、この一節だなと思っています。

この歌詞とこの曲についてはあえて語りませんが、この"主人公"の生きざまであったり苦労は集約されていますよね。この歌詞の、わたしが思う真相を語っていいのかわからないので、伏せておきますが、今後もその生きざまを貫いてほしいと思います。

「Fly High Myway!」の「夢とか希望なんてわからない」が好きです。 多くのアーティストが夢や希望を歌う中それらを否定して、渕上舞がどういうアーティストか示しているからです。そもそも現実って夢や希望もないことの方が多いじゃないですか?

良くも悪くも現実主義。でもそれがアーティスト渕上舞。むしろ、昨今の夢を追いかけた先にある闇の深さを知れば、現実みのある話をしたほうがよっぽどの救いに感じられます。

自分は断然「Rainbow Planet」の「許し合えるから愛し合えるの」ですね。 それぞれがそれぞれの色を持っている中、関係を育んでいくのは相手を受け入れようとする心。 その通りだなぁって思いますね

このコメントには一本やられました。前々からこの歌詞について思っているところではありましたが、私も割と人を許せなくなることが多いので、このコメントに打ちやられました。相手を受け入れる心、大事ですよね。
善悪を語る様々なアニメ作品に通用しそうな、タイアップ曲となりました。



以上、ツイッターで募集した渕上舞楽曲に関する募集企画まとめになります。
なかなか歌詞に関する考察的なものとなりますと、レベルが高いゆえに投稿も少ないのですが、投稿してくださった方々は大変レベルの高いものを送ってくださいました。

何かまた募集企画して記事を書きたいものです。
ひとまず本記事はここまでということで!
ではでは

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