見出し画像

ポンデリングの節を無視する奴と仲良くなれるのか

まぁ仲良くなれないと思う。

ポンデリングの節というのはアレだ、ポンデリングを只のポン・デ・ケージョを使った揚げ菓子ではなく、”ポン・デ・リング”たらしめている、あの、くびれの事を言っている。

あのくびれを無視して、ポン・デ・リングを食するやつの気が知れない。ポン・デ・リングを自然に楽しもうとすれば、礼儀正しく、あのくびれの単位でポン・デ・リングを収穫し、咀嚼し、楽しむはずだろう。

そもそもドーナツというものじたい、形を食わないと始まらない。さもないと、気づいてしまう。俺たちは穴の空いた揚げパンを食っていることに過ぎないことに気づいてしまう。そう、この前もそれに気付かされかけた。沖縄で、あの茶黒い菓子を食ったときだ。あれだ。「おばあのサーターアンダギー」とか言って売られてるやつ。

一口齧った瞬間「あっこれ黒糖使っただけのオールドファッションだ」と思った。少なくとも俺は思った。きっと沖縄県民も思ってる。だってミスド沖縄にあるし。でも沖縄県民は分かってて言わないのだ。言ってしまえばドーナツはドーナツでなくなるから。

俺たちはドーナツという形を食ってるのだ。だからドーナツに与えられた形状を無視するやつはドーナツそのものを理解していない。故にポン・デ・リングを眼前にするとき、俺達はあの節を無視してはいけない、向き合わなければいけないのだ。チョコファッションのチョコとオールド(オールドってなんだ?)には真摯に向き合わなければいけないし、鬱陶しいからと言って紙袋の底に残ったゴールデンチョコレートのゴールデンを取り残してはいけないし、フレンチクルーラーを食うときは、あのヒダヒダを削るように食わなきゃいけない。え? エンゼルクリームには穴がないじゃないかって? 馬鹿かクリームどこに入れるんだよ。クリームの部分が実質穴なんだよ。

だから、こうな、ポン・デ・リングを食すときは、一節、一節、カウントダウンして食していこうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?