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嬰喰の女(えばみのおんな)

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

三の上、座間ザマ輝安キアンノタグイ

 クサビとユウヅツが三叉に辿り着いたのは、一つ星が西の地平に消えた後だった。

スハエはさらに先に行ったのか三叉周辺には見当たらなかった。

道標は苔生して読み取りにくかったが苔を削り落とすと「左 さま」とあった。座間とは古くは大寺があって栄えた場所で、ここからだと南に位置する。

右は、夜空に不死の噴煙が赤く見えるから西へ行く道だ。

今クサビが行くべきは南へ向かう左の道であろう。

 左の道を進み出そうとした時ユウヅツを見ると月の光を浴びて不吉な顔色になっていた。

クサビは思わずその小さな体を引き寄せて近くの木陰に隠れた。

 クサビは先を急ぎたかったが、ユウヅツはひどく疲れていそうだ。

元は貴顕の姫様。おそらく今まで長い道を歩いたことなどなかったのだろう。

クサビはしかたなくこの辺りで夜を過ごすことにした。

といっても苫屋とまやすらない。

道ばたで寝ていれば、それこそ野盗や野犬の餌食だ。

見渡すと少し離れたところに夜空を背に森が黒く見える。

あそこの木に拠れば休むことができるだろう。

 近づくとそれは森と言うにはあまりに若すぎる橡《つるばみ》の木々が生えた林だった。

これでは樹上に昇る事も出来ないし、木の幹に身を隠す事も出来ない。

しかしユウヅツはこれ以上歩けなさそうだ。

クサビは黙ってユウヅツを背負うと橡林の奥へと入って行った。

遠くで犬が吠えている。

ここで野犬の群れにでも襲われたら逃げようがないなと思いながら、クサビはさらに奥へと進む。

 クサビはユウヅツのために梢の狭間から射し込む月の光を避けながら森の中を歩いてゆく。

道からかなり離れてしまって三叉に戻れるか心もとなくなった。

クサビもそろそろ疲れを感じ始めている。

そうでなくとも今日はいろいろあったのだ。

一人ならばそこらに体を横たえればいい。

だが夜露も凌げないこんな所にユウヅツを寝かせられない。

せめて屋根のある場所が必要だ。

さらに寝床となる藁の一抱えでもあれば申し分ないのだが。

そう思っても、行けど進めど同じような若木が並んでいるばかりで人家など見当たらない。

それはそうだろう。

貞観の大噴火の後、人畜逃散してしまい茫漠たる焼け野原と廃墟だけになったのはここらも同じなのだから。

草木が芽吹き始めたのだとて最近のことだ。

 ユウヅツがクサビの背に重くのしかかる。

どうやら寝てしまったらしい。

いよいよどこか休む場所が必要になって来た。

とその時、視界の先に木々を透かしてほのかに灯りが揺らいでいるのが目に入った。

どのくらいの距離かは分からないが人家があるらしい。クサビはその灯を目指して行くことにして歩み続けた。

 橡の饐えた蜜の匂いの中をひたすら歩く。

木々の間に仄見える灯火の光だけが今のクサビの力の源だった。

とにかく早くたどり着きたい。

そしてこの子を休ませてやりたい。

その一心でユウヅツを背にクサビは森の中を行く。

 どれくらい進んだか、木々に見え隠れしながら僅かに見えていた灯が視界から消えた。

ついにあてどをなくしたと思った矢先、クサビたちは森を抜け開けた場所に出た。

月光が降り注ぐその場所一面に死者の花が風に揺らめいている。

その中に見捨てられ朽ちかけた御堂が建っていた。

草を載せた瓦屋根や朱の剥げた巨大な柱から推して、以前これは大寺の堂宇であったろう。

その中から微かに明かりが漏れていた。

どんな人間が住むのかクサビには見当もつかない。

もしかしたら野盗の塞かもしれない。

しかしクサビは何が棲もうがいまはここで休みたいと思った。

危険を冒したとしてもユウヅツ一人守ることができればよい。

 クサビは堂宇のぐるりを歩いて見た。

その三方は塗込め壁で扉らしきものはなかった。

ただ南に面する一面が観音開きの大扉になってい、その端に人が一人くぐれるほどの小扉がある。

クサビはその扉を叩いてみた。

しばらくして中から返事があって扉を透かして灯が近づいて来る。

閂を開けて顔を出したのは年のころはクサビほどの女だった。

道に迷ったと言うと、クサビと背中のユウヅツを交互に見て、招じ入れてくれた。

 中に入るとその女の他に誰もいないようだった。

床は石敷でひんやりとしている。

正面に主のいない須弥壇があって、そこに上がると火桶の周りに円座《わろうだ》が一つ敷いてあった。

クサビたちはその一つしかない円座を勧められた。

背中のユウヅツをそこに座らせようとすると、すでに目覚めていて素直に従った。

クサビもその隣に坐して何気に見回すと天井が高い。

おそらく衛士の長槍で突いても届かないのではないか。

そしてその天井を支える柱の太さといえば、大人で二抱えはありそうだった。

 その女は親しげに接し、風呂はないがゆっくりしてくれとまで言う。

女の歓待ぶりが気味悪くもあるが、今のクサビにはそんなことを気に掛ける余裕すらなかった。

それほど疲れていたのだ。

 一人かと尋ねると父と住んでいるという。

今は出かけていて今夜帰って来るはずだったので、本来ならばこんな夜中に訪いがあっても無視するが、そういうことなので思わず出てしまったと言った。

 女は身体が冷えて青い顔をしているユウヅツのために、火桶に火をくべてくれた。

女はそこに鍋を置き、粗末なものだがと汁物を勧めてくれる。

クサビにとっては久しぶりの暖かい食餌であったから、ありがたく頂戴した。

ユウヅツも少し口にして体が温まったらしく、やがてクサビの膝を枕に寝てしまった。

 クサビは女としばらくは夜語りなどした。

女が話すのは、市が立つのがここから半日もかかる厚木だから大変だとか、人里離れているせいでこのように人と話すのは有難いことだとか、とりとめのないことばかりだった。

 クサビはそれを聞きながら屋内の様子を見るとはなしに眺めていたが、西面の板壁に目が行ったとき違和感を覚えた。

外観からするとこちら側は塗り壁だったはずで、板で仕切られている向うにわずかばかりの空間があるように見えたのだ。

女がクサビの視線に気づいて、

「そろそろお休みになられては」

女は火桶の始末をして燈台から脂燭《しそく》に火を移すとクサビに付いて来るように言う。

クサビは寝ているユウヅツを起こさぬようにそっと抱き上げると女の後を追った。

女が西面の隅を引くと板壁に人が一人やっと通れるくらいの隙間ができる。

クサビが女の後をついてその隙間に入ると、そこから幅の狭い階が上に伸びていた。

女は途中で振り返り手招きしている。

クサビは女の背後の暗闇に気を配りつつ階を昇る。

女は脂燭を壁に掛け、一番上でクサビたちが来るのを待っている。  

 クサビが慎重に昇り切ると、女は天井から垂れた紐にぶら下がって思いっきりそれに体重を載せた。

すると、いま上がってきた階が持ち上がって床と等しい高さに収まった。

昇降式の隠し階だった。隠し扉と言い、用心というにはいささか手が込んだ仕掛けだ。

 女は紐の端を壁の突起に結わえると、階に閂を掛けてから脂燭を手にして暗闇に進む。

すると脂燭の光が屋根裏部屋をぼんやりと浮かび上がらせた。調度も整っていて、ここが主たる生活の場であるらしかった。

女は奥の暗がりを指差し、あすこで寝ろと言う。

見れば一抱えどころでない藁が敷かれている。クサビは礼を言うとユウヅツをそこに寝かせ、自分もその隣に横たわった。

女はクサビ側に少し距離を置いて床に就く。

クサビはすぐに眠気に襲われ眠りに落ちた。

 クサビがうつらうつらする中で、女がユウヅツに顔を寄せ覗き込んでいるのに気付いた。

クサビが声を掛けると女はすぐに自分の寝床に戻ったようだった。

よくある鬼女の話を思い出したが、女のその時の目はそれとは違うように見えた。
 

 クサビは普段夢を見ない。

これまで単に寝て覚めるの繰り返しで夜をやり過ごして来た。

しかし、この日はどういうわけか夢を見た。夢の中でこれは何かと問うたが応える者はなかった。

 その若い男は娘のユウヅツの手を取りクサビのもとから連れ去ろうとしていた。

夢の中ではユウヅツはクサビの実の娘だった。

クサビの呼び声にユウヅツは振り向こうともしない。

まるでそれが当たり前のようにクサビのもとを去ろうとしている。

クサビは胸の内にこれまでにない痛みを感じて涙が溢れ出す。

男はユウヅツを連れて森の中に入って行く。

クサビは必死に追いかけるが途中で見失ってしまう。

森の中を方々さがしてやっと、この堂宇にたどり着いた。

大扉の隙間から覗くと、男がユウヅツを抱え壇の板間を剥がし地下への階を降りて行くのが見えた。

クサビも追いかけ階を降りる。

地下は暗く土気が充満していて息苦しい。

じめついた狭い石廊を腰をかがめつつ進むと、一番奥に赤銅色の檻が見える。

その中で何かが蠢いている。形の定かでない醜悪な体でのたうっているもの。

クサビは恐れた。

これは嬰嶽《えいがく》だ。

こんなところに嬰嶽がいる。

クサビは恐れ戦き、踵を返して元来た石廊を戻ろうとした。

クサビが一歩踏み出した途端、何かが足に絡んで転んでしまった。

足首にまきついたものを見るとそれはあの時クサビが掴んだユウヅツの汗衫の裾だった。

その根元を見ると、嬰嶽の肉体に取込まれたユウヅツがクサビを捕まえようとしていた。

ユウヅツの顔は不吉な色をして無表情だ。

クサビはさらなる恐怖にその裾を引きちぎり、必死で階を駆け昇り屋外に逃げ出し明るい日の光の下に出た。


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