私のお友達の愛原ありさも出演します

 2018年1月21日、江古田の小さなライブハウス、【クラブドロシー】で行われた「アイドルでもアニソンでもどんとこい!vol52」というイベント。
 それほどメジャーではないアーティストや声優たちが、ライブパフォーマンスを披露する定期イベントである。
 この日のことを私は終生忘れられないと思う。
 それは、私がファンである谷尻まりあが、事務所から退所し、最初にひとりで立った舞台であるからなのだが、単純に彼女が次のステージに足を踏み出したという感動と同時に、あの日のイベントのもっていた凄まじい奇異さが頭にこびりついているからである。

 谷尻まりあはアイドルグループ【アーススタードリーム】のメンバーであった。それが2017年をもってアーススタードリームを卒業し、同時に所属事務所アーススターエンターテイメントからも退所した。2018年、彼女はフリーの表現者として歩みだした。
 まだ卒業公演の熱気も冷めやらぬうちに谷尻は「アイドルでもアニソンでもどんとこい!vol52」の出演を発表した。
 私がぼんやりと谷尻の新たな初舞台を観に行こうと当日会場に訪れると、小さなライブハウスは人で埋まっていた。
 伝え聞いた話では、このイベントは普段はだいたい20人程度の客入りであるらしいが今回に関しては70人超の入りとなっていた。
 つまり、単純に50人は谷尻を見に来た客であるということである。
 圧倒的多数を占める一見さんたち。
 その日「アイドルでもアニソンでもどんとこい!」のレギュラー出演者たちは、馴染みの舞台のはずが、突如来襲した未知の集団を前にパフォーマンスを行わなければならなかった。

 アイドルグループ、アーススタードリームの熱烈なファンのことを【ドリーマー】という。
 その気質は、一言で言うと熱しやすいお祭り気質である。
 アーススタードリームのライブは他のアイドルのライブに比べて規律が緩く、他では許されないようなコールや動きが容認されていた。
 曲に対しては可能な限りコールを挟み、MCには可能な限りコメントを挟む。
 とにかくその場を楽しむために、多少の顰蹙があろうとも全力をつくすのがドリーマーだった。
 2017年12月29日にアーススタードリームが活動を休止し、ドリーマーたちはお祭り騒ぎの場所を失い、新たな場所を渇望していた。
 その鼻先に舞いこんだのが、谷尻が出演する「アイドルでもアニソンでもどんとこい!vol52」だった。
 約50人のドリーマーによって「アイドルでもアニソンでもどんとこい!vol52」は擬似的なアーススタードリームのライブとなっていた。
 多少の遠慮はありつつも、隙あらば曲中に挟まれる「俺もー」のコール。MC中に頻繁に飛び交う「やっぱ○○なんだよなぁ」というコメント。その様式は明らかにアーススタードリームのライブに対するそれであった。
 しかし、幸せなことに、その様式はレギュラー出演者たちに好意的に受けとられ、心地よいノリの良さに、彼らのパフォーマンスはのっているように見えた。

 アーススタードリームの様式が支配するアーススタードリームではない者のライブ。
 それがもたらしたのは、客席の共有認識がなぜか出演者の共有認識ではないというねじれだった。
 出演者が知らない事柄が、観客たちの大半が当たり前のように知っているという、普通のイベントではあり得ないことが何度も起こっていた。
 出演者のひと組「藤川賢一&OCHA」のOCHA氏が、告知のコーナーで、2月17日に自らのバンドのライブがあると告知を行った。しかし、会場に「その日は……」という空気が流れていた。OCHA氏は「その日何かあるの?」と観客席に問いかけたが返事は返ってこない。
 あのとき、観客のほとんどがわかっていた。
 2018年2月17日はアーススタードリームの元メンバー、中島由貴のソロライブが行われる日であると。
 観客たちにとって重要なイベントの存在を出演者は欠片も知らないというズレ。
 そのズレが谷尻の告知タイムのときにも訪れた。
 まず出演者のひとり、ねみ氏が告知タイムに【アニクラマニア‼︎2nd】というイベントに出演する旨を伝えた。
 そのあと、谷尻に告知の順番がまわってきた。彼女はそのとき自分に関しての告知はしなかった。
 ただ「先ほどの【アニクラマニア‼︎2nd】ですが、私のお友達の愛原ありさも出演します」とだけ言った。
 舞台上にいるほかの出演者たちはそれを聴き「ふむ」とうなづいていた。
 対照的に客席は沸いていた。
 谷尻が口にした「お友達の愛原ありさ」とは、アーススタードリームの元リーダーであり、谷尻と同時にアーススターエンターテイメントを退所した愛原ありさのことだったからである。
 あのとき皆は「お友達」という言葉からあふれ出たあまりに大きな谷尻と愛原の関係性を噛みしめていたはずである。
 舞台上の出演者が知らない物語を、観客のほとんどが深く深く知っている。
 私はそのことに、変な感動を覚えていた。

 漫画でも映画でもアニメでも良いが、続編モノを見るときに好きな瞬間がある。
 前作から新作に引き続いて登場したキャラクターが新作の登場キャラクターの前で、前作のキャラクターについて話す瞬間である。
「俺の古い知り合いに困った奴がいてな……」
 と前作のキャラクターにふれるセリフがあったとする。
 新作の登場キャラクターには「古い知り合い」としか認識できなくとも、前作を鑑賞済みである視聴者には、その古い知り合いについての物語が様々な情景とともに思い浮かぶはずである。
 彼らの知らないアイツとの物語。優越感とノスタルジーが入り混じったなんとも言えない心地よさになるのだ。

 谷尻が口にした「お友達の愛原ありさ」は、アーススタードリームという前作の輝かしい思い出を呼び覚ますまばゆい言葉だった。
 それを谷尻が歩み出す新たな物語の第一歩で聞くことができた。
 だから、多分私はこの日を一生忘れられないのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?