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晩翠怪談 第1回 「呼び起こされて、戻されて」「通夜ライオン」「べっちゃん子」

【晩翠】
 冬枯れの季節になって他の草木が枯れ落ちた後でもなお草木が緑色であること。また、その緑色。
コトバンク「精選版 日本国語大辞典」より

 転じて、現世を去るべき者らが妖しき異形に変じて、留まり続ける様。
 あるいは、この世の理から外れた未知なる力が引き起こす諸々の事象。
 斯様に捉えて数多の怪異な事例を連ねていくのが「晩翠怪談」である。


■呼び起こされて、戻されて

 昭和時代の終わり近く、中沢さんが二十代の頃に体験した話である。
 ある時、麻雀仲間の木部君が、自宅の敷地に麻雀小屋を設けた。
 二十帖ほどの四角い部屋が重なる、二階建てのユニットハウスである。
 元々は彼の父がその昔、土木業を営んでいた時代に事務所として使っていた建物で、その後は物置代わりに二十年以上使われてきた。
 荷物の整理に伴い、空っぽになった建物を改装して、木部君は麻雀目的のプレイハウスに仕立てあげたのである。

 完成後、さっそく招かれ、週末の晩に中沢さんを含む三人の麻雀仲間が、泊まりがけで卓を囲むことになった。
 麻雀小屋は一階にシンクとトイレが備えられ、いちいち母屋へ行かずに用を済ますことができる。二階は寝室にしたそうで、木部君自身も泊まるのは今夜が初めてとのことだった。

 午後の七時頃から対局を始め、時刻はあっというまに深夜を回る。
 一時を少し過ぎた頃、友人がトイレに立った。
 煙草を吸いながら戻って来るのを待っていると、まもなく友人は悲鳴をあげてトイレのドアから飛びだしてきた。
 友人は血相を変えて「誰かに足を掴まれた!」と叫ぶ。
 和式便器にまたがって用を足していると、いきなり両の足首をぐっと掴まれたのだという。ところが足元には誰の姿もない。
 代わりにすぐうしろから「うぇあ」と濁った男の呻き声が聞こえてきた。堪らず逃げだしてきたそうである。

「気のせいだろ?」と木部君が言ったが、友人は「本当だ!」と譲らない。
 半信半疑のまま、みんなでトイレの様子を見にいったが、何も変わった様子はなかった。
「脅かすなよ」ということで話は収まり、再び卓を囲み始める。

 やがて時刻が三時近くになり、そろそろ寝ようということになった。
 中沢さんは布団に入る前に用を足そうと思い、トイレのドアを開けた。
 次の瞬間、和式便器の傍らに寝転がる男と目が合い、悲鳴があがる。
 作業服姿の中年男で、両手で喉を搔き毟りながら、ぎらぎらと血走った目でこちらを鋭く見あげていた。
 男はすぐに消えてしまったが、姿ははっきり目にしている。見間違えや幻覚のたぐいとは思えなかった。

 みんなに事情を説明すると、先ほど足首を掴まれた友人は「ほらな!」と中沢さんの証言を支持した。
 一方、木部君ともうひとりの友人は、半信半疑のままである。微妙に顔を引き攣らせながらも「眠くて夢でも見たんだろう」などと強がってみせる。
「本当だよ」「そんなわけない」
 二対二で問答を繰り返していると、いきなり「どーん!」と凄まじい轟音が耳をつんざいた。
 音はトイレの中から聞こえてきた。何かがドアの内側を思いっきり蹴飛ばしたような音である。
 これには全員が飛びあがった。様子を見計らい、恐る恐るドアを開けてみると、中には誰の姿もなかった。
 さすがに木部君も「堪らない」と震えだし、結局その夜はみんなで母屋に寝ることになる。

 後日、木部君から聞いた話によると、件の麻雀小屋ではその昔、死人が出ていることが分かったそうである。父から聞きだしたのだという。
 仕事の事務所に使っていた当時、トイレで従業員が服毒自殺をしているとのことだった。
 中年男性だという。中沢さんが見た男と年頃が一致する。

 こんなことがあったせいで、せっかく設けた麻雀小屋は一度きりの使用となった。木部君は小屋に寄りつくことさえなくなってしまう。
 数年後、木部君の父が「勿体ない」ということで、地方から出稼ぎに来ていた男性に小屋を貸しだしたのだが、彼は二ヵ月ほどで引越していった。
 理由は「トイレで幽霊を見たから」だという。

 結局、件の建物は元の物置に戻り、今でも木部君宅の敷地に立っているそうである。

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