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北海道旅行で感じたこと(ごく一部!)

初の北海道では札幌・旭川を観光してきました✨
叔父の付き添いのような旅行だったので、自分の希望で動いた日程ではないのですが……。

それでも、同じ景色を見ての感想をしゃべったり、旅先での食事を楽しんだり、いっしょの時を過ごせるということは特別なことだなぁと、あらためて感じました! 

何を見るか、以上に、誰と見るか、が大事なんよな……😌
そんなことを思うのは、自分も年齢を重ねて三十代になったからでしょうか。


と、まぁ、そんな個人的な感慨とはまた別に、今日の記事では書きたいことがあります。

ひとことで言ってしまえば、『歴史認識』についてモヤモヤした、という話です。



まず訪れた札幌では、観光バスに乗りました。(高齢の家族との旅行は、楽な移動手段に限りますわ!)

観光ルートには大満足だったのですが、車内放送で流れていた歴史説明に「ん?」と思う点が……。

北海道の開拓について、「過酷なプロジェクトだったし、政府には急がされて散々だったけれども、移住者みんなで力を合わせて進めました……!」という汗と涙の歴史が語られたのですが、

いや、それだと、大事なことが抜け落ちてるよなぁ? と……。

『先に住んでいた人達がいたこと』を語らず、当たり前にスルーしたね?!と。

引っかかりを覚えました。短い車内放送だとしても、だからこそ、どんな事を伝えようとしているかには、端的に歴史の見方や考え方が出ると思うのです。


うわぁ、〝侵略〟の歴史が無かったことにされているなぁ、と……。

正直、やっぱりそうか、という思いもありました。長い期間、そういう認識で、日本人のなかの歴史観は構築されてきたんだもんなぁ……と。これまで本で見聞きしていたことが、妙な現実味を帯びていく実感をもちました。(嫌な実感ですが。)(驚きがない自分のことも悲しいし、日本人のひとりとしては申し訳なくも情けなくも思います。)



日と場所が変わって、旭川で訪れた『川村カ子トアイヌ記念館』の館内ビデオでは、打って変わって、先住民としてのアイヌが見てきた歴史が語られていました。

「それまでのアイヌのしきたりも法も全て無視され、開拓が一方的に進められた。」

「生活の基盤である鹿漁や鮭漁を禁止され、住む場所さえも変えるよう命ぜられました。石狩川近くの原野が〝給与地〟として私たちの開墾する土地とされました。」

……今日のこの記事では、あくまで私個人の得た実感という、小さなこと、考えたことのほんの〝うわずみ〟しか書けませんが……。


少しずつ歴史は問い直されてきた、アイヌの権利回復も訴えつづけられている。それなのに今もまだ『無視』するのですか? 
私のなかに今浮かんでいるのは、こういう思いです。

自分にまだ圧倒的に知識がたりないので、言うのに勇気がいりますが……。
せめて自分の身の周りには、伝えていきたいと思いました。

観光バス内の放送は、たぶん、昭和~平成につくられたまま変えられていないのだと思うのです。
街の史跡の説明文や、観光ガイドの文章も、昔につくられたまま更新されていない。

過去の時点では〝そうだった〟認識なのだとしても、今もまだ〝そうでしたよ〟と言い続けるのは、嘘を広めつづけることにならないでしょうか?


「観光客にはただ楽しんでもらえばいいから。耳当たりの良いことだけ言ってればいい。都合の良い歴史だけ書いておけばいいだろう。」

もしも、そんな風に思われているのだとしたら、ずいぶんと馬鹿にされている気がします。
ぞんざいに扱わないでほしい。真実を知りたいです。



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