今はもう昔の話

幼い頃経験した嫌な思い出について話そうと思うので不幸自慢と認識されても致し方ないように感じる。それでも読みたいという物好きだけどうぞご案内です。

私は幼い頃からいじめにあってきた。まぁいじめでいう一般的な物を壊されたり無視をされたり悪口を言われたりとそんな感じのバリエーションである。クラスメイトの中のボスは2人いて、その2人は私だけでは物足りなかったのか他の子にも私と同じようないじめを毎日毎日繰り返していた。私がいじめられても人前で泣いたりするような子じゃなかったからかもしれないし、ただ単純にその子たちが誰にでも威圧的な性格の子どもだったのかもしれない。私はというと自分以外のいじめられている子、無視されている子にも特に他の子と差別せず普通に接していた。自分がされて嫌な事、嫌だった事を誰かにしたくなかった。そうやっていじめられっ子同士でつるんでいると、大抵私以外のいじめられっ子たちはローテーションなので飽きたりその子たちが私と仲良くしだすとまたいじめっ子たちの輪に入れてもらえる。そしてそのいじめっ子たちと一緒になって私をいじめるようになる。当然子どもながらに悲しかったけれど仕方ないと思っていた。もしかしたら今度は私の味方になってくれるかもしれないと期待した私が悪いのだと思っていた。何度も何度も繰り返して何度も何度も仲良くなっては裏切られる。でも何度だって信じたし何度だって好かれようと頑張った。それが私で私はそれでいいと思っている。正しい人間でいたい。自分がどう思われるより先に誰かを傷付けたくない。相手の気持ちを少しでも楽に出来たならそれでいい。それが私だし、犠牲を省みて他者の苦痛を見て見ぬふりをするのは偽善で綺麗事しか言えないような奴にはなりたくなかった。友達だと思っていた子たちに裏切られるのは普通に悲しいしつからかったけれど、いつかまたそんな状況になる時がきても私は同じ行動をとるだろう。正直馬鹿らしいし相手にとっては都合がいい奴だとは思う。でも私は自分が誇れる自分でいられるなら馬鹿でもいい。

嫌な思い出ではあるけれどただの事実で私は不幸になった訳でもない。私はずっとずっとこうやって生きていくんだと思う。こうやって生きていきたい。優しさや愛情は無限にはわいてこない。愛される場所を見つけて愛される人間でいられるよう努力しよう。じゃないと人には優しく出来ないから。自分が幸せになれるようにというエゴで生きていこう。誰にも押し付けず自己責任で