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魯と孔子14ー三桓氏の変質ー「牛人」をめぐる国際情勢(6), 季孫氏の膨張

前562年、北方の雄である晋を圧倒すべく、楚、秦、斉が連携してその包囲網を狭めていた。この緊迫した情勢下において、晋同盟に属する魯は、楚と連携する斉や莒との戦いに備えて、二個軍団から三個軍団(三軍)への大幅な増強を行った。

時代は下り、晋楚の和平が行われると、魯を取り巻く国際情勢は安定した。
すると、この三個軍団の維持が、国力に大きな負担となっていたことは容易に想像がつく。
こうした状況下で浮上したのが、三軍のうち前562年に新設された一個軍団(中軍)の廃止、すなわち三軍制の廃止案である。

前538年、季孫宿は悩んでいた。
季孫宿は、この三軍制の廃止を大義名分として、魯公の親衛隊の兵力基盤と直轄領の税収を、季孫氏の所領に取り込むこもうと画策していた。
もちろん、季孫氏の勢力ばかり拡大してしまうと、他の三桓氏との対立が厄介となる。ただ、季孫宿は、むしろこの魯公の基盤を取引材料にして、叔孫氏と孟孫氏の協力を得るつもりであったようである。
そのため、彼の悩みは、そこではなかった。

悩みとは、今は亡き叔孫豹との盟約である。
国家内のバランス崩壊を危惧した叔孫豹は、むしろ三軍制を固定化することで魯公の基盤の弱体化と季孫氏の増大を防ごうとしていた。

魯の国政の第一人者であった叔孫豹の要請である。
当時の季孫宿は、三軍に関わる盟約を結ばざるを得なかった。

そして、その叔孫豹はもういない。
だが、いかに叔孫豹が死んだとはいえ、その盟約を無視すれば、季孫氏を攻撃する大義名分が発生することにもなる。そうなれば、魯国内の政治ゲームがどのように動くか予想できなくなる。
当時、季孫氏は魯国内でも最大勢力の氏族であったが、それでも他の三桓氏と、それに他の小氏族の勢力が合わされば、その優位性を保てる保証はなかった。
なにより、魯の国君である昭公がこれらの側につけば、季孫氏は終わる。

さて、その悩める季孫宿の前にある男が現れる。
豎牛である。
叔孫豹の最期を看取った彼は、季孫宿にこう言い放った。

あのお方はもともと中軍の廃止をお望みでした。

豎牛は、季孫宿の背中を後押しすべく、叔孫豹の遺志を捏造した。
盟約を交わした当事者の意志が変わっていたのだから、盟約破棄のこれ以上の大義名分はない。
季孫宿は、ようやく三軍制の廃止に動くことができた。

さて、季孫宿に取り入った豎牛の狙いは別にあった。
豎牛は、叔孫氏の主導権をめぐり、杜洩に第2ラウンドを仕掛けようとしていた。

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*ヘッダー画像:Wikipedia「ミーノータウロス」

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