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第8回配信 新型コロナウイルス感染症の労災認定基準の問題点

1.労災認定の現状と通達基準
 8月18日18時現在において、新型コロナウイルス(以下「コロナ」という)感染症に関する労災保険請求件数は928件で、すでに決定が下された369件については、医療従事者等や海外出張者以外の者(43件)を含めてすべて支給するという結論になっている。コロナ感染症の労災認定は、「新型コロナウイルス感染症の労災補償における取り扱いについて」と称する通達(基補発0428第1号・令和2年4月28日、以下「通達」という)によって、医療従事者等については、業務以外での感染が明白でない限り業務上とみなすとされ、その他の職業については、感染リスクが相対的に高いと考えられるような環境下(職場で複数の感染者が確認された場合や顧客との近接機会等が多い場合)にあれば、反証がない限り、業務上と認められやすいものとされている。通達は「本感染症の現時点における感染状況と、症状がなくとも感染を拡大させるリスクがあるという本感染症の特性にかんがみた適切な対応」をするものであるとしており、あくまでコロナの爆発的な感染が続いている現状における特例であるとのスタンスである。

2.通達基準の特性と実際の認定の難しさ
 感染症について、業務起因性を認めるか否かの判断は、度々困難なものとなる。労災保険は、業務に内在する危険が現実化した場合に補償を行うものであり、風邪やインフルエンザなどいわゆる一般的な感染症は、業務に内在する危険とは言えず、補償対象とされることはない。もっとも、常在菌等の感染症であっても、病院等における院内感染のごとく、当該職業に従事していなければ感染することはなかったと判断される場合には、業務起因性が認められる可能性はあり、この度の医療従事者等に係るコロナ感染症については、こうした考え方に則ったものと思われる。そう考えると、上記通達の特殊性は、医療従事者等以外の感染について、感染経路が明らかでない場合においても、同僚や顧客等からの感染が疑われるのであれば、事実上、業務災害とみなすとの取り扱いをしたことにあるといえる。同僚の場合は複数の感染者がいること、顧客等の場合は近接や接触の機会が多い労働環境下にあることが適用の基準とされているが、感染経路を特定することなく相対的なリスクの高さをもって判断するとの扱いは、極めて異例なものであるといえる。
 もっとも、同基準をもってしても、判断が難しいケースは生じてこよう。例えば、同僚からの感染が疑われる一方で、家族からの感染も疑われる場合、顧客と近接することはあるもののフェースガードを使用するなど万全の感染対策がなされていたなかで労働者一人だけが感染したという場合など、様々な状況が考えられる。潜伏期間内の労働者の業務従事状況や一般生活状況なども調査し、また医学専門家の意見も踏まえて判断するとされているが、労基監督官の調査時間と能力も勘案すると、「疑わしきは業務上と認める」との処理になることを了解しているものであると想像する。

3.感染経路が特定された場合の認定判断
 一方、感染経路が特定された場合においても、労災認定判断が困難となるケースは生じてくるものと思われる。通達は、医療従事者以外の労働者について、感染経路が特定され、当該感染源が業務に内在していたことが明らかに認められる場合には給付対象にするとしているが、「感染源が業務に内在していた」というのはどのような状態をいうのかは分かりにくい。業務そのものが感染源に触れることを内実とする仕事とは、医療関係者以外には考えられず、わざわざ医療関係者以外について同文言を用いて基準を設定した意味は、業務において感染者に接触することを余儀なくされた場合を想定しているものと考えるしかなかろう。例えば、航空機内において前席の感染者から感染したというケースが報告されているが、被感染者が国内出張中であったとしたら、これに含まれることになるのであろうし、また、接待による会食を契機としてクラスターが発生したケースが話題になっているが、業務命令に基づく接待であったのであれば、これも含まれることになるのであろう。
 つまり、「感染源が業務に内在していた」とは、業務遂行過程において感染する状況下におかれたことをいうのであり、「明らかに認められた場合」とは、労働者の恣意的行動などがなく、必然的に当該状況が生じた場合をいうものであると考えることが相当であろう。

4.多様な問題をもたらすコロナの労災認定
 コロナ感染症に係る労災補償の問題は、労災認定実務の混乱に留まらず、今後様々な問題を生じさせるものと思われる。
第1に、今回の特例が波及し、例えば、職場において同僚から感染したことが明らかなインフルエンザその他の感染症についても、業務災害とみなされる余地を生じるのかという問題である。上記のとおり、通達自体はこの度のコロナだけに適用されるものであり、その他の感染症について従来の認定実務を変更する意図などがないことは明らかであるが、法論理的にはコロナとインフルエンザを区別する論拠があるわけではない。仮に裁判になった場合、コロナによって開けられたパンドラの箱が、どこまで波及効果をもたらすかは不透明である。
 第2に、業務によりコロナに感染した労働者が、持病を悪化させてしまい、死亡に至ったというケースにおいて、当該死亡についても業務上と認められるか否かという問題がある。この点、コロナ感染がなければ、死亡することもなかったかという相当因果関係の可否判断において、結論は容易に出せるように思われがちだが、死亡原因が当該コロナによって派生する症状(例えば肺炎等)ではなく、持病自体の悪化であると認められる場合には、微妙な判断となるものであろう。業務に起因する塵肺のため、持病を悪化させ、その後死亡に至るという例は多いが、当該死亡原因が塵肺に起因するものでない限り業務上の死亡とは認められない。もし、コロナ感染症患者については、特別な扱いをするというのであれば、明確な理由が必要となろう。
 第3に、業務上のコロナ感染により体力や気力が低下したため、業務遂行が困難になったとの訴えを行う労働者がいた場合、ほとんど未知の領域にある病態であるコロナ感染症に係る治癒(症状固定)の判断をどうするのか、という問題がある。すでに世界中の研究機関において、コロナはかなり高い確率で肺機能や神経学的な後遺症を残すとの報告がなされている。そもそも疾病であるか負傷であるかを問わず、後遺症がどこまで被災者の労働ないしは生活能力に影響を与えるかは、個人差もあって分からないことが多い。一般的には、主治医等の意見を中心としながら、医学的な常識によって判断していくことになるのであるが、この度のウイルスについては症状の出方や再発の可能性など未知の部分が多く、治癒(症状固定)の判断は難しいものとなる可能性が高い。さらに、一旦業務上の感染とみなされ補償を受けた労働者が、治癒(症状固定)後、再びコロナ感染症を発症した場合、再発とみなすのか新たな感染とみなすのかという問題も起こり得る。この点、当人が治癒(症状固定)後職場以外において感染する可能性のある行動を取ったかどうかまで調査することは難しく、また、個々にコロナウイルスの型を特定しデーター化していくことも困難であるため、労働者本人が再発であると主張すれば、主治医であっても認めざるを得ないこととなろう。
 第4に、業務に起因するウイルス感染によって休業をした場合、休業補償給付は過去3か月間の給与をもとに基礎日額が算定されることとなるが、すでに長期にわたる経営自粛によって給与そのものが大きく減少している人も少なくないものと考えられるため、当該給付基礎日額の算定が妥当であるかという問題を生じる可能性がある。例えば、タクシー運転手や飲食店店員についてみると、辛うじて客を得て業務に従事したところ、感染してしまったということは十分に考えられることである。実務上、コロナ以前の賃金を斟酌することも可能であろうが、自粛による賃金低下が長引けばそれも難しいものとなろう。

5.危うさを抱える通達基準
 現状のコロナ禍を勘案すると、労災認定について独自の基準を出したこと自体は非難されるべきものではない。しかし、医療従事者以外の感染について、感染経路が特定されない場合においても業務起因性を認めるとの基準は、その波及効果とともに、その後の展開を十分に予想したものであったかは疑問が残る。
 労災保険法とは、保険制度である以上、保険事故の概念を適正に捉えることは必要不可欠なことであるが、制度の継続性や平等性を保つためには、一見厳しいと思われる対応を取ることも必要になる。やや世論に流されたと感じられるこの度の通達基準が、将来において禍根を残すことにならないか、大いに気になるところである。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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