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1枚のチョコ

「昨日の夜中さ、ぱっと目が覚めて何気なくテレビを見たら、どこかの国のどこかの人が板チョコを食べてたんだよ。それがまあ、うまそうで……」
 なにを唐突にいうのだろう。そうおもいながら直人の方に顔を向ける。あるある〜。たまにあるよね。チョコがものすごく食べたくなるときがさ、と声を出していい、いやいやわたし毎日食べてるんだよね、はいわないでおく。
 わたしはチョコがなおちゃんよりも大好きで毎日なにかしらのチョコを食べているし、ココアも飲んでるし、ミロなんか粉のまま舐めている。
「なおちゃんきっと疲れてるんじゃないの? ほら、疲れてるとさ、甘いもの欲しくなるでしょ?」
「……」
 昨日またゴルフに行った顔はまた一段と日焼けをしていてあまり日焼けの似合わない顔の直人はどこかの異人に見えなくもない。なにかいいそうな気配がし、言葉を待ってみたが待っても返ってこず、わたしの方が先に切り出す。
「ローソンで買ってこようか?」
「え? うん。いいの?」
 いいも、悪いもねぇ、といいわたしは笑う。だって近いしさ。とつけ足す。悪いね〜。という口調にはちっとも悪いねぇなどとはおもってはいない口調だけれどそれも含めてもう直人なのでまあいいやという感じでスマホだけ持ってうちを出る。
 昨日から泊まっている。もう夕方の5時を回ったところだった。3時ごろやっとインスタントカレーを無理やり食べた。というか勝手に用意されて食べた。ご飯を残してしまうとなにもいわず直人は残飯の処理にかかる。わたしは隠れ過食嘔吐なのでカレーを食べ終えたあとトイレに行き、指を喉に突っ込んで吐いた。吐くことに慣れているため吐き選手権があれば1位か2位を争うほどの素早さで、吐ける。
 なぜ、吐いてしまうのだろう。胃が膨れるとひどく罪悪感に苛まれ急いで吐かないととなりパニックを起こす。だからソラナックスは欠かせない。吐いたあとですぐソラナックスを砕き鼻で吸うか苦いけれど噛み砕く。水では決して飲まない。また戻しそうになるからだ。吐くことをおぼえてしまったばかりに吐くことが癖になっていてあげくこれは日常になっている。鬱がひどくなるにつれ、過食嘔吐もそれに比例し悪化していく。気持ちの悪い物体なわたし。それでも直人はわたしを抱く。こんなマーライオンを。
 ローソンまで徒歩で5分。今日初めておもてに出た。夕方の空気はどこか1日の終わりの匂いがする。うまくいえないけれど。なんとなく。騒がしい喧騒のあとのかぐわしい匂い。
 ローソンの駐車場は無駄に広く、大型トラックが3台とまっていた。1台は『長崎』ナンバーだった。金髪の兄ちゃんで何気なく見ていると、トラックの中から手をひらひらと振ってきた。わたしは笑いながら同じよう手を振り返す。がんばって〜という具合に。ローソンの中に入り、板チョコだけをPayPayで支払う。余分なものは買って来なくていいと出ていくときいわれた。食べちゃうから。だそうだ。ローソンから出るとさっきの兄ちゃんが入り口で待っていた。というかタバコを吸っていた。
「どうも」そんな感じで頭を下げる。兄ちゃんっていう歳でもなくわたしよりもやや下くらいの感じだった。穏やかそうな感じ。
「ここらへん?」
 わたししかいないからわたしに声をかけたのだろう。わたしは、首を縦にふる。
「かわいいなぁ。その服。目立つから。つい、手振った。悪いねぇ」
 別に謝ることではないのに謝る意味がわからなかった。確かにわたしはどこかの民族衣装のような服装をしている。モダンだなとさらにいわれる。
「日本人?」
 ええ? そこ? わたしはうなずき笑う。ケラケラと。
「じゃあ」
 たまにこうやって声をかけてくるおじさんたちは絶対に『日本人?』と質問をしてくる。やはりいつもへんな服装だからだろうか。サングラスだし。まあいいけど。板チョコを持ってうちに帰る。
「遅かったね」
 30分は経っていた。いろいろなことがあったけれどいうまでもないためいうのはやめる。
 板チョコを渡す。わーこれこれ! 子どものようにはしゃぐ直人。なんだ。子どもじゃねーか。とわたしはおもう。ビリビリと巻いてある紙を破り銀紙のまま半分に割り「はい」と半分をわたしに渡す。
「食べよ」
 微笑みながらそういわれ、わたしも微笑んでうんと銀紙を剥がす。
 パリッという音が鳴り、そのあとを追いかけるよう、うまい! という歓声がつづき、さらに、懐かしい味ダァとうなる。
 小分けになったチョコはいつも血糖値を安定させるために食べているけれど板チョコは本当に久しぶり、いや、冗談ではなく何十年ぶりくらいだった。パチンコでもらった景品だったような気がする。
 パリッと齧った音はやけに新鮮に感じる。口の中で甘いチョコが暴れだす。
「美味しいね」
 本当に美味しいと舌が感じた。直人と一緒に食べているからなのか、板チョコが久しぶりだからだったのか。よくわからない。それでも美味しかった。
「ハイボール飲む?」
 直人に問いかけると飲むというので冷蔵庫に取りにいく。
「チョコにハイボールって最強だね」
「だね」 
 さっき、カレーとハイボールは最強だねといっていたぞ。あんた酒が飲めればなんでもいいんじゃないの? 
 ぼんやりとふたり並んでチョコを齧りながらテレビを観ている。全く面白くないテレビを。
 どこかで救急車の音がする。窓が網戸になっていて外の世界の音がこの部屋の中に全部入ってくるような気がしわたしは立ち上がり、窓を閉めた。

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