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「ふじたさんのばあい」

 金曜なら会えると思うよ。なかなか都合よく会えないから余計に会いたいのか自分でもよくわからなかったけれどやはり会えるとなるとそのかなり嬉しいわけであってパートまで休んでしまいなので時間通りに約束の待ち合わせ場所までいった。 
 ちょっとメイクが妖怪人間ベラみたいな感じのメイクだったことに気がついたのは待ち合わせ場所のコンビニのトイレでおもむろに鏡を見たときだった。うちを出るときよりも格段に分厚く塗ってあるファンデーションはその信号待ちのいちいちに鏡を見ないで塗っていたのだしマスカラも同様でバックミラー越しに目だけ覗きこんで塗ったものだ。
「きっもー」声には出さなかったけれど鏡の中の自分を嘲笑う。地味な顔に真っ赤な口紅など似合う訳などもなく玉になったマスカラなど蟻? それ? くらいに薄気味悪く、ファンデーションにいたっては舞妓さん顔負けくらいに分厚い層になっていて、途方に暮れつつメイクを拭き取るティッシュを買って全て落とした。全て落とした顔の方がのっぺりとして頬がちょっとだけピンクに染まり(こすり過ぎた)いつもの顔色の冴えない二重だか一重だかわからないあたしに戻っていたしもうあたしそのものだった。されども薄く粉をはたいて眉を描き何事もなかったかのように車に戻ると、後部座席に藤田さんがちょこんと座っていた。
「あれ、いたんだ」
 あれじゃねーよ、と藤田さんは眉間にしわをよせ、鍵をしないと。鍵を。と、苦笑いを浮かべた。あー、うん。でもねあたしいつもしないよだって盗まれるものないもん。藤田さんはなにそれといいながら目を細めながらクスクスと笑った。
 まだ仕事を辞めて2ヶ月で職安などに通っているという。本当は会社からの解雇だったのに辞表を書いたばっかりに辞めて3ヶ月後からしか雇用保険が出ないため今手も足も出ないとそうつけたす。
「参ったよ」
 コンビニから近くのラブホテルまでのたった5分の間に藤田さんは「参ったよ」あるいは「参るなぁ〜」を8回いった。
 職を失った彼は以前のような覇気が全く失せていたしなぜだかとても小さく感じた。将来の悲観とでもいうべきか。ときおり見せるそのやるせない目があたしのある箇所をかなりくすぐった。弱っている男に弱いのだ。あたしは。魚へんに弱いと書いて『イワシ』と読みます。思わずいいそうになり口を噤んだ。
「こんなにさ、休んだの何十年ぶりだよ。なんか変だな」
 ホテルの部屋はこぢんまりしていてあまり豪奢でもなく心地いい広さだった。藤田さんは容姿は飛び抜けていいのに喋ることを得意としないため損をしていると感じる。もっとも浮気など今までしたことなどないというしなるほどそれは納得していた。一緒にいても無言の時間の方が多過ぎて言葉をもてましてしまう。けれどもう無言の時間が苦痛ではなくなった。慣れたのだろう。彼がそういうたちだということに。
 自然に身をまかせながらベッドの中で抱き合う。好きな男とのそれはなんて気持ちがいいのだろう。心が満たされる感じと必要とされているという自覚。生きているという証拠。女であるという確認。
 普段の生活の中でいつもは女をどこかに置いてきているけれど抱き合って身体の中を突き抜ける瞬間にあたしは女であることを認めざるおえない。
「あまり、せ、背中、噛んじゃいや」
 あまりにも噛み付くので涙ながらの懇願も聞き入れてくれずあたしの背中にはいくつもの歯型がついている。
 テーブルの上にあったスマホが寒くもないのにブルブルと震えそれは着信だなと目をテーブルに向けたと同時に藤田さんがあわててスマホを手に取り通話ボタンを押した。
「あ、うん。あ、え? 今か? 何度? え?……」
 時計を見ると午後4時半を過ぎたところだった。電話越しの相手の察しなどとおについていた。
 藤田さんはくるりと体制を変えあたしの目をじっとみながら
「子供が熱出したって。電話」
「帰りましょう」
 寝起きだったけどシャワーも浴びすに急いで洋服を着た。
「今までこんなことあった?」
 小学4年生の息子さん自らの電話にほとんど焦っている藤田さんが気になった。
「ないよ。だって俺いままでこんな時間仕事してただろ?」
「あー、だよね。お父さんがいると思っていて帰ってきたらいないってわかったから心細くて電話してきたんだね」
 だね、きっと。藤田さんの顔は急に父親然の顔になっていた。さっき抱き合ったのは誰なの。そう思わせる温和そうな優しい顔になっていてどうしてだか嫉妬をしていた。息子さんに? 家庭のある藤田さんに? 不毛な恋はいつも唐突にあたしを戒め悲しませる結果になって追い込む。泣きたいのはあたしも同じだと叫びたかった。
 あたしのものには決してならない人。いっときの現実逃避だけの透明人間的な存在。けれど他の人のものなのによこどりをしている事実。
 会いたいのはただ身体を求めているだけだから。そこに愛とか恋とかそうゆうのは多少でもあるのだろうか。
 よくわからない。
 ホテルから出るとあたしの心の裡をよんだのか雨がザーザーに降っていた。
「あ、雨かぁ」
 雨はフロントガラスを見事に打ち付けワイパーの滑稽な音がひどくうるさく感じた。
「熱、大丈夫かな」
 それでも罪のない子どもさんのことは心配でならない。藤田さんは、ありがとう、うん、大丈夫。嫁さんも帰ってくるらしいから。そういいながら車から降りた。またな、と苦笑いを浮かべて。
 彼の奥さんは看護師だったと少しして気がつく。看護師の奥さん。かわいい子どもたち。恵まれた容姿にその優しさ。
 どうしてあたしになんて構うのだろう。
 雨がさらにひどくなる。ワイパー全開でも見えないほどに雨がうちよせる。雲がたちこめていて暗ぼったい空が押し寄せてくる感覚がありあたしは一旦ちょうど道沿いにあった吉牛に入り車を停めた。
 吉牛の看板を見て急に空腹を意識し大雨の中吉牛に入ると、え? と声をあげたくなるほどに誰もおらずまあこんな雨だしなと納得をしつゆだく大盛りの牛丼を頼んだ。
 太ったメガネの正社員だろうか。お兄さんかおじさんだかわからない男の人が一人で食堂であたふたしている。卵もつけようと立ち上がった。

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