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あし

 洗濯物を干すとき物干竿が高いので脚立を登って干している。高さにしてみれば約50㌢くらいだ。特になにもないいいお天気の梅雨の中休。
 あたしはたくさんの洗濯物が干された折りたたみ式ハンガーを手に取って手を伸ばす。あっ、かかったハンガーを掛けた瞬間足が滑ってかなんだかよく理解できないのだけれど踵から落ちてしまいぐきっと変な音がしてむむこれはまずいやつかもという危惧を持ち合わせちょっとだけ間をあけて立ち上がる。
 あれ。立ち上がれない。ぐぎっと鳴った方の足が痛くて動けないのだ。踵をつくと痛いからけんけんで玄関をあけ部屋に入る。どうしょう。接骨院にいった方がいいのだろうか。けどパートは休めないしなぁ。まっ、様子をみるかという考えにまとまり痛い足を引きずりながらなんとかパート先につく。
 「さっき脚立から落ちて……、」痛いんですよ、足がぁ。痛いんですよぉ、足がぁ。という最後の台詞は営業のおじさんの声にかき消されて今日やることの指示を始める。はい、わかりましたという声にもちろん覇気がない。足がさっきよりも痛みが増しているし気のせいか2倍くらいに膨れ上がっている気がしてならない。
 じゃあよろしく。とさっさと立ち去るおじさんのすっかり髪の毛の寂しい後ろ姿と見つめながらやや苛立つ。一緒の仕事をしている小林さんにいっても仕方がないしそもそも同じ空間にいるにも関わらずあまり喋らない。本当はとても優しい小林さんに甘えたい気もしないでもない。彼は手がとてもきれいなのだ。あの指で頭を撫ぜて欲しい欲望がいつもふつふつをと脳裏をかすめる。けれどそれをおもてには出せない。同僚だしいつも一緒だし仕事がしずらくなるのがわかるから。好きになってるのかなまさかなまあ違うよなの間で揺れる心はいつも天秤のように揺れている。
 仕事が終わりその脚立から落ちた足で整形外科にいく。
「レントゲンを撮りますね」
 から始まった診察は踵にうっすらとヒビが入っているのと筋肉の断裂となんやかんやと説明される。
「本当は車椅子で行動して欲しいレベルですよ。なるべく動かないで静養してくださいね。あ、しばらくは通ってください」
 静養って、とおもうも、そんなのできねーしと内心で毒づきはいと松葉杖を渡される。歩くに踵が地面につくと痛くて悲鳴をあげそうになっていたから松葉杖があって助かったと泣きそうになる。杖は腰が痛いときにもついていたし山登りのときも使っていた。まあ山登りは用途は違うけれどやっぱり人間はいざとなれば誰かに頼って生きていく生き物かもしれないなぁとしみじみとおもう。おもうけれど杖は生きてないしとふふふとつ含み笑いをする。

『足の骨が折れて』
 とその次の日男にメールをした。まあ返事など期待してなどはいない。だから案の定その2日後
『どの足?』
 忘れた頃に返事がきてそれでも嬉しい自分が情けなくなる。
『かかと』
『そっか』
『仕事休業?』
『うん。今日は休んだよ』
 その日は本当に休んだ。特に急ぎの仕事がなくておじさんがまあ休んでよと体を労い生なごやんというお菓子をくれた。うまかったけど。
『3時過ぎにどう?』
 あたしはうんわかったと指が勝手にウキウキで返事を打ち返していた。

「まじか」
 松葉杖を持って車から降りると男は、置いてけよ、と苦笑いしていう。え? でも歩けないけどというと、俺がいるし大丈夫からといわれて車の中に置いて男の車に乗り込んだ。
「ガチでだな。痛い?」
 後部座席が空いていてちょうどバックミラー越しに男と目があう。あたしはうなずくも、え? でもそっちも怪我してない? とまたバックミラー越しにたずねる。顔、それも目の横にバンドエイドを貼っていたのだ。
「あ、これ? 昨日サーフィン行ってさ、顔を擦ったんだよね」
「痛いの?」
 今度は男がうなずく。痛いってまあ顔全部が痛いし首も痛いしもうさぁ嫌になるわ。はぁと最後にため息をつき、あまり元気がないと付け足す。
 そっかという以外言葉はみつからず足を怪我した女と顔を怪我した男はホテル以外には行く所もなく結局ホテルに行く。喫茶店でもいいのになぁと以前いったら、ダメ。嫁さんの知り合いが多いから。どこで見られるかわかならない。とたしなめられた。その証拠に一度だけ嫁さんの連れに見られたことがあったから。今は絶対にホテルにしかいけない。というかいかない。
 車から降りてずっと腕を貸してくれた男にまた好き度がぐんと上がる。なんだか恥ずかしいなぁといったのは男であたしは逆に嬉しくてはしゃいだ。こらこらそんなに動くなと叱られながらもなんか知り合った頃を思い出す。その頃はいつも手を繋いでいた。大きな手。きれいな横顔。
 それでも部屋に入ればもうすることは同じであたしはまた罪をおかす。そしてまた魂を抜かれる。抱かれるたびに男を好きになる。このまま死にたいし死ぬならこの人にいっそ殺されたいという願いは変わらない。そんな優しくあたしを抱かないでよ。もっと身勝手でいいから。どこか嫌いになれる要素があればいいのにと探すけれどあまりに完璧すぎてもはやお手上げ状態だ。最近では今よりももっと先のことを考えてしまう。このままじゃいけない。きっとまたあえなくなるときがくる。こわい。そんなことばっかりが頭に浮かんでは消え浮かんでは消えもう消えなくなっていることは認めたくないけれど認めるしかない。
 いつかは終わるのだ。あたしと男は永遠にというふた文字はない。どこまでいっても交わることのない平行線はどこまで続くのだろう。
 キスがうまいね。そうかな。うん。好き。えー。というまたもやくだらない会話をしているときあたしは男の腕や指に触れる。
「スキンシップです」
 なにそれといいつつ男ははははと笑いあたしの胸をもんだ。貧乳ですまないねぇ。と心の中であやまる。
「そういえばさ、昨日業者の子と飲みにいってさ」
 と男がとつとつと話し出す。うんとうなずく。
「お礼のメールが来てね。それがさ、普通は『今日は』ってさ、は、だろ? でもそいつさ『今日わ』ってはがわになってるんだよ。だから僕わ、とかそんな感じでさ。バカかな? 」
「うーん、バカっていうかそのひとさわざとじゃないのかな。面白くさせるために」
 そうじゃないなといいはりあいつはきっとバカだときっぱりといいきる。
「けどさ、」
 ん? けど? なんなの? と先を促す。
「まあどうでもいいしね」
 男の方を見やる。薄暗い部屋にぼんやりと浮かぶ男の顔に貼ってあるバンドエイドだけが浮かび上がって見える。その横顔の稜線を切り取って持って帰りたいくらいにくっきりしていた。顔がちょっとだけにやけていて可愛くおもえて抱きしめたくなった。
 男は幾つになっても裸でいるときはかわいいという理論はきっと裸で産まれてくるからで裸になると外気という鎧を全て脱ぐからかもしれないという理屈に到達する。
「かわいいじゃん」
 え? 男はその言葉におどろくもその言葉を男に向かって吐いた言葉だとは皆目おもってはいない。
「好き」 
 は? もうバカはお前だな。男は目を細めて立ち上がりシャワーをしに洗面所に向かう。
「待って」
 と叫びたかった。あたしはまたひとりになる。ベッドの上で。男の体液の上で。男がさっきまでいたベッドの下の体温を感じながら。
 終わったあとのこの虚しさがいやでどれだけ泣いたかわからない。涙の決壊などいつ来てもおかしくはない。
 こんなに好きな人がいる世界はなんて明るくなんて暗くなんて孤独で不自由でなんて残酷でこんなに酷く悲しみおそれるのだろう。あたしはいつも自らひっそりと自殺をしているのかもしれない。
 冷蔵庫の中にある缶ビールのプルトップを引く。酒はしばらくはダメと禁止されているけれどまあちょっとだけならいいかと勝手に決めこむ。酒があってよかったなぁなんて男じゃあるまいしとおもいつつも笑えない状況下であたしは一気に350ミリの缶を空にした。シャワーの音はまだしている。

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