クリスマス・イブの前日に

 涙があふれてしょうがない。感情がむき出しになりどうしょうもない。とにかく今の状況に心と体が追いつかない。
 薄暗い部屋。窓のない場末のホテル。たまに温度が下がって自動でスイッチが入る暖房の唸るような音だけが泣き声を少しだけだせるチャンスだった。だからそのときだけズズズと鼻水をすすりホロホロと涙を流した。
 あ、と気がつく。
 わたしはきっとこのひとを失ったら死んでしまうだろうと。
 「……な、泣くなよ……」
 顔は影になっておりわからない。めんどくさいな。またかそんな顔をし眉間にしわを寄せているに違いない。けれど。わたしは涙を流す。このひとのことで何度涙を流したのかわからない。涙の種類は様々で歓喜の涙のときもあれば憎悪の涙に哀愁の涙。多種多様にある。今回は間違いなく歓喜の涙だった。もう死んでもいいなとおもえる言葉だったのだ。

『時間あるならあえる?』
 つい最近あった分だったけれど松井さんからメールがきてすぐにあえると返信を返した。またスクショ。キモっと自分でもおもう。ストーカーよりはまだマシだしなという自分なりの見解によりないことにする。
 何時にどこどこで。そう決め待ち合わせ場所に向かった。あまり近くだとまずいでしょ。という意見をこの前提案したのでほんとうに隣街のホテルに出向くことになったのだ。
 松井さんの自宅とわたしのうちは車だと8分くらいで着く距離にある。それなのにいちいちふたりして別々で隣街のホテルまで出向くだなんて滑稽だった。
 昼過ぎ14時。とても中途半端な時間の待ち合わせだったので途中になん件かある比較的入りやすいマックでドライブスルーをしポテトのSとカフェラテを頼み運転をしながらつまむ。
 冬真っ只中だということを忘れてしまうほど車内は温室のように温かくホットのカフェラテを買ってしまったことを少しだけ後悔をする。まぶしい日差しが目に痛い。サングラスに変え目的地に向かう。ドライブ日和。まさにこの言葉がピタリとあてはまる。ひどくいい天気だ。
『109』
 待ち合わせ場所に着いた途端メールが届き松井さんが先に部屋に入ったことを告げる。いつも一緒に入っているから変な感じがしたけれど逆に新鮮でもあった。
 階段を上がり部屋をノックしようとしたらガチャっと部屋のドアが開き、わ、と声をあげる。
「あ、ごめん。いま、フロントから電話があって。お連れさんが見えったって」
 いうからといいながらわたしの顔をみる。
 目があったけれどいつもと違う場所だったのか恥ずかしくて目を逸らした。わあこのホテル外観と違って綺麗だね。そうそう俺もびっくりしたよといいあい無駄に広いソファーに座る。缶ビールがいっぽんテーブルの上に置いてあった。手持ち無沙汰だったからなのか視線が缶ビールにそそがれる。
「……、あ、つい、飲んじゃった……」
 車でしょという言葉を飲み込んで、そうなんだねと軽く受け流す。長時間いるつもりなのだ。きっと。
「年末だな。混んでただろ?」
ややしてつぶやくような声がし隣をみやる。作業着にはまた違うボールペンが刺さっている。赤ペンとシャーペンも。銀と赤とブルーの頭がポケットから飛びでている。
「うん。混んでたよ」
 年末ってなんでいつもこんなに車が多くなるんだろうねと続ける。
「てゆうかさ、お前マック食べてきた? マックの匂いがする」
「わわ。するどい!」
 なんて鼻がいいのだろうと感心をし、自分のセーターを引っ張って匂いを嗅ぐ。匂わないけどなというといや俺にはわかるよと笑った。どうせシェーク飲んだんだろ? と勝手に決めつける。
 わたしは首をフリフリとし、違うよ。カフェラテにしたんだよという。そんな気分じゃなかったのとつけ足す。
「どんな気分なんだか」
 松井さんは作業着を脱ぎながらクスクスと笑った。立ち上がり、セーターとブラウスを脱ぎだす。その動作が始まるとドキドキしてしまう。一連の流れをこなし浴室に姿を消す。
 部屋にポツンと残されたわたしはまた手持ち無沙汰になり、こっそりといつもの行動にでる。胸に刺さっているボールペンを取りだし自分のカバンにしまう。ごめんなさい。と両手を合わせながら。
 シャワーからあがった彼とかわりにわたしがシャワーを浴びる。
 部屋の調光をいじっているのがわかる。お風呂がガラス張りになっていた。薄暗い部屋。わたしは湯船に肩まで浸かり、はあと息を吐く。広いお風呂は気持ちがいい。けれどいまからもっと気持ちのいいことをしようとしている。気持ちがいいこと。気持ちを重ねること。気持ちを確かめあうこと。気持ちってどうとでも使えとても便利な言葉だ。けれど気持ちっていうものは目では確認はできないしどこにあるのかもわからない。だから重なりあい嬲り合う。嬲るって男と女と男という文字が合体してひとつの漢字になっている。男に挟まれて女になるという意味なのだろうか。
「し、心臓がもう破裂しそうだ。運動不足」
 行為が終わり松井さんがわたしの背中の上で小声でつぶやく。背後からの体勢で果てた。終わってからもすぐには退かない。重たさが愛しさに変わる。
「ダメー」
 でていこうとしたからダメ待ってと声をあげる。耳のそばで、ええーと不満の声が落ちる。このままで。もう少しいて。せめて心臓の音が落ち着くまで。
 松井さんはおとなしくなるまで待つことにしわたしの背中の上に体重を乗せた。重たい? 訊かれ、ううん大丈夫とこたえる。そのまましばらく無言の時間がつづき、無言だけではなくこのまま時間が止まればいいなとおもった。
「はあ」
 コロンとベッドに転がり松井さんが仰向けになる。暖房がブォーンという音をあげ温風が吹きでる。少し暑いかもしれない。
「ねぇ」
「ん?」
 いろいろと落ち着いてきたところで声をかける。よいしょ。松井さんは立ち上がりソファーに移動し、ミネラルウォーターに口をつける。無料で置いてあったウエルカムドリンク。
「めんどくさい話?」
 顔はみえない。部屋も薄暗いし、うつむいている。めんどくさい話をしようとしようとおもっていたから図星すぎて声がでない。
「いや、違うけど。いや、そのあのさしてるときってなにを考えているの?」
「え」
 とてもおどろいた声をだし、なにを? なにをって? とその単語をいくども繰り返し、なにをかぁ? と首をひねる。
「気持ちがいいのかなぁって考えてる。お前がさ」
「それ?」
「うん」
 じゃあ、とまた質問を始めようと最初の言葉をいうと、
「好きじゃないと抱けないから」
 わたしが質問をしたいこたえを先にいわれてしまった。好きじゃないとということは好きっていうことでいいんだよね。あまりにも簡単にいえることだったけれ声にだしてはいえなかった。
「……あ、りがとう」
 声と体が震え、目頭が熱くなり込み上げてくるものが温かい液体になって目からツツツーとこぼれてゆく。それから数分間。わたしは声を押し殺して泣いた。嬉しくてそして悲しくてあまりにも残酷であまりにも優しくてあまりにも不毛でいっそ殺して欲しかった。もういいよ。これ以上望まないから。と。いいたかった。
 だれにもいえないし相談もできない。苦しいといえば苦しいしやめたいけれど好きが勝ってしまいおしまいにすることさえもできない。
「どうしたらいいの」
 泣き声の合間にわたしはつぶやく。松井さんからの回答は得ることはできない。ずっと黙っている。
「やめるか割り切るか。その二択しかないだろ」
 めんどくさそうな声。何ヶ月かに一度くらいでくるめんどくさい話の授業。問題をだしたわたしのほうがいつも点数が低くもしくは赤点以下だ。
「俺からはなにもいえない」
 今度はわたしが黙る番だった。涙が止まらない。めんどくさい。わたしはほんとうはわかりきった女を演じているめんどくさい女なのだ。
 時間がわからない。なん時なのだろう。曖昧な時間が虚構な時間が終わろうとしている。
「なん時なの? いま」
 やっと普通の声になり訊いてみる。えっと声がし、8時過ぎだという。
「えっ。朝の?」
「バカか。夜の」
 すっかり酔いのさめた松井さんはついでにさめきった体を温めるために浴室に向かう。
「待って。シャンプーしてよ」
「ええー!」
 いいでしょ。といいながら涙をぬぐい一緒に浴室に入った。湯船の中のお湯はもうすっかりさめていて水になっている。
「明日、クリスマスだね」
 お湯を足しながら一緒に湯船に浸かりわたしは松井さんにだらっと抱きついた。 

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