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トラガス

 痛みだけがあたしが生きていることを教えてくれる。痛いことは嫌。そんなの普通なら当たり前だ。けれどあたしは違う。痛さだけは決して裏切らない。痛さはと快感は紙一重でありあたしにはなくてはならないものなのだ。

 自ら命を削っているともいえる行為は徐々にエスカレートをしてく一方で手首を100均で買ってきた真新しいカッターでばさりと切った。死のうなんてまずもって思ってなどはいないから危険な箇所を避けただ切って血が流れ出てくるのをぼんやりとしかしうっとりと見つめる。ああ、こんなに腹黒なあたしにも真っ赤な血が流れているんだなぁと思いながら。お風呂上がりだったからそのまままだ湯が残っているバスタブに腕を水面を叩きつけるよう突っ込む。透明な湯がみるみる真っ赤に染まっていく。バラの入浴剤ではない。血なのだ。バラの入浴剤のように嘘くさいバラの匂いはしないしむしろ湯気も相まって血なまぐさい。ゆらゆらと水の中沈んでゆく真っ赤な絵の具のように血はかなりの量が出たみたいで湯船を地獄の湯に変えた。そのついでに以前から置いてあるニードルを持ち耳にあてる。けれどもはや開ける場所がないといえばない。痛みが欲しいときに発作的に開けるのはピアスでそれもニードルで開ける。
 トラガスに開けよう。そう決めまたもや適当にニードルをぶっ刺す。うっと痛みに声が洩れる。けれど痛いだけであまり血は出なかった。なんだこんなものかと耳たぶに刺さったまままだ手首からも血が出ているまま14Gのステンレスのピアスを手に持ってニードルを抜いた瞬間ピアスを突っ込む。おっ、ここでこんなに血が出るのかというほどどくどくと出てきて焦りつつもなんとか無理やりピアスを突っ込んだ。耳がじんじんする。耳がまるで心臓になった感じ。この感覚が好きでついつい耳に穴を開けてしまう。モグラが土を必死に掘るように。何かに取り憑かれたように。

 体じゅうにある刺青も18歳でいれた。そのときもさほど怖くもなくそれ以上に快感の方が凌駕していた。あたしは無敵だった。無敵で鬱病で淫乱で摂食障害で情けなくて愚かで浅はかでばかだった。とゆうか今でもそれは決して変わってはなく増えたのは性病とパニック障害とコミ障と整形依存とシミとシワとフェラのうまさだ。

「また手首切ったの」
 言葉の語尾は上がってはいなく質問ではもちろんなく決定で呆れてものがいえないよてきな口調で男はしらけたような目であたしをみつめる。
 お前のせいだ。お前がメールも電話もスルーするからだ。とは決していえない。男からの電話などの通信ツールを待っているうちに切ったと男のせいにしそうになるも口を引き締める。もうこんなの無理。こんなに好きでけれど好きなときに気軽に連絡も取れず気軽に会えずもう無理すぎて吐きそうになる。
 いいでしょ勝手じゃん、といい捨て男に抱きつく。作業着からなんとなく土の匂いがしてその匂いにホッとなる。やっと会えた。やっと。 
 作業着のポッケにボールペンが3本刺さっている。そのボールペンにさえ嫉妬をする。あたしもあんたらの仲間に入れてよ。そーなればいつもこの男の心臓の音を聞いて過ごせるのに。
 あたしは赤のインクのボールペンがいいなぁ。なんでって? だってさ、無駄に血を流すでしょ。だから。うん。まあエコって感じかな。どうかな。仲間入りできるかな?
「……、い」
 おい! その声にはっとなる。男がなにやら話していたけれど妄想に耽っていてなにも聞いていなかったのだ。
「なに?」
「あ、別に。なんでもないよ」
 梅雨。おもてからはさみしそうに雨の音がする。狭いホテルの一室であたしと男は今から一瞬だけ死ぬのだ。

「ちょっと黙ってて」
 あたしを悩殺した男が素早くソファーに座り電話に出る。おう、わかった。え? ああ、まあ明日でいい。その口調から奥さんからだとわかりけれどなにもいわないでおく。
「嫁さんからだった。通販が来たよって電話だったし。忘れてたわ。俺。今日指定だったこと。嫁さんに買ったのバレちゃったよ」はははと苦笑いを浮かべる男はすっかりと生還していてそっちの方に驚く。あんなに動いたのにまるで疲れを感じさせない男がもはやすがすがしく思えてくる。
「なんか変なものでも買ったの? 別にバレてもいいんじゃないのかな。だって自分のお金で買ったんだし」
 当たり前なことをいうも男は、けどね、と続ける。
「けどね、そんなに通販ばっかりしてたらさなんか悪いなぁって思うんだよね。またサーフボード買ったしさ」
「また、買ったの?」
 そんなあたしもきっと奥さんと同じ台詞を吐いたに違いないなあと思いつつ笑いがこみ上げてくる。
「そう。また買った。まあ使うからいいじゃんって感じだけどね」
「そうね」
 そんなことより。
「あのさ」
「ん?」
 久しぶりに奥さんの話題になったから意地悪をしてみたい衝動に駆られ
「そんなことよりもね。あたしと今一緒にいて。上等のセックスをして電話に出るあなたの方がとても悪い人じゃないのかな」
 男はうつむいて黙ってしまう。
「けどね。あたしは全く奥さんに悪いって思ってないから。奥さんよりもあなたをを好きだし」
 はっと男は顔をもたげじっとあたしをみつめたあと少し間をあけて
「こわいな。お前は」
 本当に身震いをしつつ声を震わせた。
 この男は優しいのだ。優しすぎるのだ。だから奥さんとあたしを別名保存して割り切っているつもりなのだ。小心者といえば聞こえが悪いけれどまあ実際そうなのだろう。とゆうかそうなのだ。だからあたしを何度も抱くのだ。捨てないのだ。
「こわいのは」
 雨の音がいちだんと大きさを増している。大雨警報のアラームスマホに届いていた。あたしは男を見つめながら、続ける。
「いちばんこわいのはあなたに会えなくなることよ」
 泣きそうだった。手首の傷が痛み出す。さっき男がベッドの上で思い切り手首を掴んだから。血が滲んでいる。大雨のようにひどく泣きたいと願う。
 今なら男のポッケにささっているボールペンの仲間になれるような気がして裸のまま座っている男の上に跨った。 

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