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過信

 1台空いた駐車場の向こうにわたしの大好きな男がうつむきながらスマホをいじっている。わたしがすでにいることは気がついてはいない。だからメールを打つ。
『マッサージするの? 今日?』
 あれれ。そんな顔をしニタニタしながらスマホを指でなぞっている。まだわたしの存在には気がついてはいない。
 いつも待ち合わせをするドラッグストア。午後3時。なのに駐車場は日曜日のコストコ並みに車が停まっている。店内にはさほどお客さんがいるようにはおもえない。
『する』
 Gmailの着信音がなりスマホの画面をみる。男の名前と返信メールが表示される。スクショ。男からメールがくるたびにいつもスクショをしている。なぜこのような意味不明なことをしているのか自分でもよくわからない。わからないけれど気がつくとスクショをしている。以前はもっと気持ちの悪いことをしていた。アプリでボイスレコーダーをダウンロードしあうたびに録音をしていたのだ。あああっ……とわたしの喘ぎ声だけが記録され男の声などはあまりない。それでもたまに聞き返してみたりもする。男がもしこのことを知ったのならまじでやめてくれ。と叱咤するだろう。奥さんに聞かせるから。いつかの切り札に録音をしていたという気がしないでもない。その頃はいま現在よりももっと深刻に男を愛していた。
 拘泥していた。男に。男の体に。男の存在に。だんだんとそれは引き潮のようすーっと徐々に引いていった。愛すること、盛り上がるのは一瞬。男と女はその一瞬のために生きているのかもしれない。
 車から降り、そっと男の車の助手席をのぞく。あっという顔をし乗れよと口だけが動く。ドアを開ける。助手席にはパソコンが置いてあった。
 あ、悪い悪いと急いでパソコンを閉じカバンにしまう。いいよそんなの。わたしは助手席が空くのを待つ。図面描いてたと続ける。
「忙しいんだねぇ」
 いつもの挨拶をし彼の横顔をみる。うん。そうだね。まあいつもと同じだよといい男は白い歯をみせる。
「それにしてもすごいひとだな」
 わたしもおもっていたことだったのでうんうんというふうに首を縦にふる。ああそっか。男がなにかを納得した口ぶりでほほうという顔をする。
「ほら。看板みてみ。水曜日はポイント5倍デーだってさ」
「あーなるほどぅ」
 あははは。ふたりして声が重なり大笑いをする。
「けどさ、こんなにひとがいて、ここで待ち合わせをするのってそろそろまずいんじゃないのかな。ほら、奥さんさ、友達が多いっていってたでしょ。前にも目撃されてるしさ」
 以前大型スーパーで待ち合わせをしたことがあり、幸か不幸かというか不幸に違いないのだけれど奥さんの友達というひとに密会現場を目撃された苦いというか忘却したい過去がある。そのあとで普通なら終わるはずのふたりだったけれどなぜかまだこうしてあっている。それも堂々とした感じで。さも不倫みたいなていで。
「……過信だよね」
 窓の外に目を向けてぼそっとつぶやく。
「もしも今度奥さんにバレたらわたしきっと殺されるよ。松井さんじゃなくてわたしがね」
 茶髪でいやに胸がでかい主婦らしきひとが店内から出てくる。手にはトイレットペーパーが4つ握られている。右に2つ。左に2つ。
「……殺される……かぁ」
 俺だよ普通は殺されるのはさ。というのかとおもったけれど男は殺されるかぁとわたしのいった言葉を繰り返しただけでそれ以上もうなにもいわなくなってしまった。ほんとうに殺されるのかもしれない。もしそうならそれでもいい。けれど、松井さんも一緒に死んでよ。わたしだけ死ぬのはいや。心の中だけはいつもいやに饒舌だ。ポーカーフェースをよそおい、バカみたいに笑ってごまかす。
「今度から待ち合わせの場所。変えたほうがいいね。あそこじゃさ、目立つから」
 ラジオからえーっと今日は氷点下になったところもあるそうですねぇと呑気そうな声がしてそのリスナーの声の方がわたしの声よりも大きくわたしの発した言葉は全てなくなってしまったことになる。
 エステのお姉さんになって3ヶ月。エステで働くんだよ今度からといったらじゃあオイルマッサージしてよということになり抱き合うだけだった世界がちょっとだけ風変わりをしお互いマッサージをしあうようになった。
「こうやって、素っ裸でマッサージを受けれるってとてもいいね」
 オイルを垂らすたび男はうっとりとした声でいう。
「もうしなくてもいいぐらいに気持ちがいいもん」
 ともいう。
「やだよ。しないなんて。ひどいよ」
 しなくてもいいけどいちおういっておく。しないでもいいのだ。ほんとうに。
 男の肌についてマッサージをするようになり知ったことがいくつかあった。背中が綺麗なこと。ほくろがないこと。腰が細いこと。脚がわたしよりも細いこと。そして敏感なこと。
 鼠蹊部あたりをさすると絶対に屹立をしてしまう。俺だけじゃねーとおもうよ。鼠蹊部が弱いのは。最初は言い訳をしていたけれどいまは全くもってそれはない。むしろ屹立を愉しんでいるようにもみえる。
 オイルにまみれた指で屹立に触れる。あっ……、ため息のような声が部屋の中にいくつか落ちる。なん個目かのため息のあとわたしを押し倒しオイルまみれのままですんなりとわたしの中に入ってくる。お互いオイルまみれで抱き合いダンスをはじめる。お互いがひとつになった途端全てのことがもうどうでもよくなる。殺されてもいいなとか殺してしまおうかとか考える。けれど声が出てしまいしようがない。
 暗闇の中飢えた獣のよう男の唇を探し自分の唇に押し当てて舌を吸う。下と上がつながる。もうだめ。なにがだめ? いや、聞かないで。短い言葉がときおり交わされそれがなお一層感情を欲情を引き立たせる。
 生きている。
 繋がっているときにだけ抱く感情。違うのかもしれない。勘違いかもしれない。禁忌をおかしてまでしている行為に名前などつけてはいけない。いけないけれどもう重症でブレーキがきかない。オイルを垂らしすぎてきかないのだろうか。いやまさかとふと頭の中で冷静になり男がその瞬間果てた。
「なんかさ、燃えたよね……うん。今日は」
「なんかね」
 まだ呼吸が至極みだれておりそして心臓がバクバクうるさかった。何度も何度も体を重ねても飽きることはない。飽きることがないのもまた逆にこわいのもある。お互いが中毒患者になっている。気がついていないだけでとても愉快で不憫で報われない行為。
「忘年会やるの?」
 あ、うん。この前3人でしたよとこたえオイルとなんだかわからない液体で濡れたベッドから男が這い出る。
「なんだかなぁ〜って感じだった。ちっとも楽しくないっていうかさ。そもそもひとが密集しているとこがもう無理」
 2年前の忘年会でインフルエンザをもらったといいだからいやだよとほんとうにいやそうな声を出す。
「そっか」
 そっか。わたしはいつもそっかという。そっか。なんだろうな。そっか。って。
 いよいよな時間になり着替えて精算をしホテルから出る。
 じゃあまたね。そういいあいわたしと男は車内で抱擁をし別れる。
「年内にもういちどくらいあえるかな?」
 泣きそうな声で男の耳元でささやく。ラベンダーの匂いがする。オイルにアロマエッセンスを混ぜておいたのだ。
「あえるよ」
 えっ? いままでそういうと言葉を濁してきたくせに今夜はいやに素直だった。 
 じゃあ。わたしのことは好きなの?
 いえるわけがない。好きとか嫌いとか。もうどうでもいい。いまこの時間だけが全てなのだ。虚構。けれどそれでもいい。
 自分の車のロックをあけ車に乗る。わー寒い。エンジンをかけカバンの中から取り出したものをしみじみとみつめる。
「また、持ってきちゃった」
 ひとりごとが出てしまいクスクスと笑う。
 松井さんの作業着の胸に刺さっているボールペンをまた拝借してきてしまった。もう20本にもおよぶ。
 お前さ、俺のボールペン盗んでるだろ? とはいわれない。きっとわかってはいない。落としたとおもっている。たまにしか盗まないし。
 盗んでいるのはあなたの体です。奥さんから盗んでます。もしもきかれたらそうこたえるつもりでこたえを用意してあるのに。
 一向にきかれる気配はない。
 溜まってゆくボールペンたち。50本になったら別れようかな。シンプルなボールペンを握りしめる。
 けれども。やっぱり100本かな。
 わたし達は罪をおかし続けるのだろうか。
 やっと車内に暖が集まりサイドブレーキを下げバックギアに入れアクセルを踏んだ。

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