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ことばなど

『19時は大丈夫?』
 彼からメールが来ていた。大丈夫もなにもあたしから誘ったのだ。『今夜はどうですか』と。どうですか。のあとにクエッションマークはあえてつけない。どうですか? と、どうですか。たった語尾に『?』がついてない後者は優しいように感じる。あるいは謙遜しているような。
『はい。19時に』
 短めなメールを打つことによってしつこさやあいたさやおもたさを感じさせない。会いたくて会いたくてと西野カナの歌じゃないけれどあたしと彼は約束ごととして月に一度しか会えないのだ。会えるとわかった途端急に目の前がパァーッと明るくなり仕事でもやる気が出て幸せホルモンが体内から分泌するのがわかる。
 好きな人に会える。そう思うだけで生きていてよかったなと思うし生きているんだなと改めて痛感する。恋は麻薬だ。体内麻薬。
 仕事が終わったのが19時少し前だった。急いでアパートに帰ると彼はもう来ていた。
「なんだ。遅くなるなら連絡くれたらよかったのに」
 車から降りて彼のいる場所に移動する。この時期の19時は真冬の4時半くらいの明るさを保っている。まだ十分過ぎるほどに明るかった。彼の顔がよく見えてしまいあたしは多分に頬を赤らめていた。あげくすでにはがれているお化粧もありうつむき気味で
「ううん。大丈夫」
 彼の質問の意図を汲み取ってない返事をした。彼はにやっと笑う。
「あ、そうそう。引っ越しするんだ。だから部屋くちゃくちゃ。いい?」
 いい? と言い終わる前に彼はもう部屋に入っていた。
「なんだ。連絡くれたらよかったのに」
 洋服や洋服やほとんど洋服のの山をどかし彼は座る。連絡くれたらどうなったっっていうの? その言葉は飲み込んだ。
「いつ?」
「い・つぅ?」
 あたしも並んで座る。いつ? がなにを指すのかわからなくて黙っていると
「いつなの? 退去」
 彼はあたしの方を向いて訊いた。
「あー、退去ねー」
「そうだよ。他になんだと思った?」
 その受けこたえにあたしは少からずキュンとしたし今すぐにでも彼のワイシャツを脱がせたい衝動に駆られる。
「25日よ」へー、大変じゃん。全然片付いてないし。と、まわりを見渡す。
「やだぁー。見ないでー!」
 見るも無残なありさまをこれ以上見せたくなかった。実家に帰るんだよ。近しね。引っ越し先について聞かれたのでこたえる。そうか彼はそれ以上深く聞かなかった。
 実家に帰れば家賃もかからないし食費だって浮く。多少は家お金を入れることになるが今以上な出費はない。婚活に勤しむにあたり貯金がほとんどそこをつきてきたのだ。なんてことは黙っておく。
「親も歳だしね」
 あえて付け足した。そうか。彼はまたそうかといって肩をすくめてみせる。
「抱いて」
 おもてはまだ薄ら明るい。けれど重たい雲がたちこめている。まだ梅雨のあけない空。湿度の高い汚い部屋。彼は無言で洋服を脱いであたしの腕を掴んだ。あたしはすっかり裸で彼のきつい愛撫を受ける。彼はあたしを羽交い締めにする。容赦もなく偽りもなくそして愛もない。
 背中を噛むのが彼の癖で何度も何度も噛まれて歯型がついた。らしい。行為が終わり背中を向け横になっているあたしに彼が、あとついた、といいながら笑ったからあたしもそうやだなといいながら同じよう笑う。お互いが了承を得ているからこそのSM行為でありこれが嫌いな人だったら絶対に成り立たない。Mだって2種類あり誰にでもいいMと愛した男でないと受け入れられないM。愛のないS行為など暴力と同等だ。
 彼はまだ肩で息をしている。背中越しに彼の体温が如実に伝わってくるので。あたしもつい呼吸が乱れがちになる。
「どうせなら」
 背中を向けたまま口を開く。彼は、ん? いう代わりにあたしのお腹に力を入れる。
「どうせならね。七夕に会いたかったわ。だって先月は7日にあったのよ」
 やや沈黙のあとどうでもいいような声で
「ふーん。女ってさそういうイベンめいたこと好きだよな。嫁もケーキやらチラシ寿司やら買ってきて子どもらと食べてた」
 へー。そうなんだというふうに顔だけ振り返る。
「あなたは? 食べたの? 一緒に。家族で。みんなで」
 徐々に部屋が暗闇に汚染されてゆく。彼の顔など申し訳ない程度しか見えないけれどさみしそうな顔をしているのだけが雰囲気でわかった。
「いじわるで訊いてみたわけじゃないわ。わかって」
「いいや。わからない」
 闇に感謝をしたくなった。もうこれ以上彼の顔を見る勇気など10%も残ってなかった。なので
「抱いて」
 またせがんでみる。彼の子どもたちが「パパこのゲームのカセット買って」と同じような子どもじみた声で。
 言葉などはいらない。彼はあたしの首筋に舌を這わす。心も身体もまた震えるけれどどうしてだか声だけは出せないでいる。
 カランカランと扇風機が回る。ブー・ブー・ブーと彼のスマホもさっきから何度も震わせている。
「出ないの?」
 どうしてあたしは嘘ばっかいうのだろう。
「出ないで」と。いいたいに決まっているのに。出たらこの時間が台無しになるってわかってるのに。

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