映画「カンフー・パンダ」を見て
映画「カンフー・パンダ」(2008年)を見た。舞台は中国。山の奥深くにある安息の血「平和の谷」の中央には翡翠(ひすい)城があり、読めば史上最強の「龍の戦士」になれる巻物が存在するという言い伝えがあった。ガチョウの父ミスター・ピンが営むラーメン屋を手伝いながらも、聖なるカンフー戦士になることを夢見る、ふとっちょパンダのポー。そのポーが、まったくの偶然から(じつは運命の見えざる手の導きで)街を救うヒーローに選ばれ、見事に役目を果たす。ラーメン屋の息子で、カンフーは夢見るだけだった太ったパンダが、「龍の戦士」となってしまう。
この映画の面白いところは、中国のカンフー、もっと言えば東洋的な精神性がシニカルかつユーモアに描かれるところだろう。聖なるカンフー戦士に選ばれ、何十年も修行を積んできた「マスター・ファイブ」と呼ばれるカンフーの実力者5人組を超える力をわずかな時間で手に入れてしまう。それもおいしそうな肉まんにつられて修行をしているうちに。ポーは東洋的精神の持ち主かと言われれば、お世辞にもそうとは言えない。むしろアメリカンな感じだろう。何十年も修行をしているマスター・ファイブに対して、遠慮せずに話しかけるし、謙虚さというものもない。マスター・ファイブの師匠であるシーフー老師に対しても、おとなしく控えるということをしない。むしろ導師の集中を邪魔したり、気を遣わず話しかけ続けたりする。そうしたポーの態度によって、徐々にカンフーの達人たちが緩やかになっていく。
哲学者スラヴォイ・ジジェクからすれば、この映画は「映画全編を通じて東洋精神もどきが、低俗かつシニカルなユーモアで攻撃されている」(スラヴォイ・ジジェク(栗原百代訳)『ポストモダンの共産主義:はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』ちくま新書、2010年、89頁)のだという。それでも東洋精神の力は弱まらない。街の救世主ポーは、どれほど失礼をしても、結局はカンフー戦士に憧れるパンダだからだ。ちょっと失礼な太っちょパンダが、ちょっと修行してカンフーをマスターして強敵を倒しても、「カンフー万歳」ということである。カンフーを含めた東洋精神はつよい。そのシニカルなユーモアによる攻撃すら、含みこんでしまう。
さらに面白いのは、シーフー老師の師匠であるウーグウェイ導師が、パンダのポーに対して言った言葉だ。「Yesterday is history, tomorrow is mystery, but today is a gift. That’s why it’s called the present. 」良い言葉だと思ったが、別にこれは中国のことわざではない。まぁ、そんなことを気にする必要はないのかもしれないが、カンフーの達人の導師が中国のことわざでもない言葉でポーを励ます。絶妙なシニカルさが良かった。
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