後ろの前は前

迷うと止まるし止まると振り返るのよな。
振り返るとフォーカスされるのは同じような出来事やら記憶。
恥を晒した瞬間とか歪んだ表情の人とか、
そんなものばかり同じ引き出しに収まっているから
一つでも掘り出せばあとは芋づる式。
また同じことをしてやがる、堂々巡りじゃねえかと落胆する。
落胆するならまだいいもんで、モヤモヤを晴らしたいと
耳障りの良い言葉を探してうろつく。
都合のいい言葉を都合よく集めて満足する。
そういう能力が徐々に身についていく。
危険だよな。扱い方を間違えれば破滅もありうる。
自己正当化のし始めは終わりの始まり。
だからといって、前だけ見据えて歩けとか
未来のことだけ考えろとか、それこそ耳に心地の良い
スローガンで自己正当化に拍車がかかる。
だったらむしろ立ち止まったら振り返るんではなく
身体ごと後ろを向いてしまうしかない。
後ろをずっと見ながらたまに前を伺って、
障害物がないかの確認だけをしたら
後ろ歩きでただ歩く。前進していることに変わりはない。
身体の後ろ半分の筋肉は鍛えられる。
芋虫くらいのスピードでいい。
後ずさりしろ。
勘違いして
投げ出せないものまで投げ出して走りまわるのは最悪だ。
周りに甘えるな。
すこぶる快調で視界も開けていて最高、とか
んなわけあるか。お前を気遣って道を空けてくれているんだボケ。
上を見ろ下を見ろ前を見ろもっと後ろを見ろ、
世の中の歌の総意は、要は周りをもっとよく見ろってこと。
見てこなかった人間は見てこなかった自分を見ろ。
過去の自分に穴が開くほど見ろよ。
それしかないだろ。
誘惑に負けて、
そのまま後ろへ進んだらそのときは死ね。
身体の向きのまま進む一歩と、後ろ歩きで退く一歩はものが違う。
諦めちまえよ。明るい人生なんて。
前向いてスイスイ悩みも迷いも振り切ってあっさり生まれ変わるなんて
ありえねえから。
基盤がないだろ。
後ろを見て、迷いの原因を眺めて分析しろよ。
胃が重くなって出社に迷いが出ても続けろ。
迷う意味ががわからなくなるまで続けろ。
迷い方がわからなくなるまで続けろ。
そんな簡単に前になんか進めねえんだよ。
もっと過去に囚われろ。
死ぬまで足りねえ。
未来は後ろにしかないだろ。

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