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“人柄重視”は努力したくないイイワケかもよ

僕は、音楽活動をやっていると称しては長年くすぶり続けているわけですが、それこそ何度かバンドを組んだり解散したりを繰り返してきました。

そんななかで、バンドを立ち上げ一緒に活動してくれるメンバーを探す側の経験も、バンドメンバーに加入を希望して応募する側の経験もあります。

僕の近年の活動形態から、もう久しくバンドメンバーを募集するようなことや応募することはしなくなったのですが、それこそ若い頃はバンドメンバー募集の告知には敏感に反応していたように思います。
それだけ、そこで見合う技術が自分に備わってなかったり、メンバーとうまくやっていく協調性がなかったりで、ひとつのバンドにおさまることができないような未熟者だったのです。

 “当方、都内で活動している「Vo.♀、Gt♂、B♂」のロックバンドです。
 この度ドラムが脱退したため募集します。
 性別は問いませんが、25歳くらいまでの経験者求む。
 メロディアスなロックサウンドですが、音楽性というよりも人柄重視!
 まずは、気軽に連絡ください!”

みたいな、バンドメンバー募集の文言。
まぁ、よく見かけたなというか自分もこんな感じの文言で募集かけてたことあったなぁと思います。

ここで気になるのが、「人柄重視」って言葉。

「バンドメンバー探すのって苦労するよねぇ…」という話を音楽仲間とすることがあって、そのときに「音楽性なんてどうにでもなるから、やっぱり人間性なのよ!」って言ってるひとの話を聞いたことがあって、僕には正直引っかかってました。

「人間性は大事だよ確かに。でも、音楽性もどうにもならんだろ?」
と思うんですよね。

音楽性は人間性と=(イコール)なのではないかというくらい。

バンドメンバーというのは、それぞれの音楽人生の集合体なのだから、そのひとが歩んできた音楽人生がそのひとの人間性を形成したといっても過言ではないのではと。

ということは、別に「人柄重視」で間違ってねぇじゃんってツッコまれるかもしれませんが、簡単にいうと何よりも技術を磨くことを最優先に考えているひとと出会うようにメンバー探しができたらいいなと思うんです。

技術を磨き続けているひとって、それなりに人間性も養われていると僕の経験上そう思っていて、それこそ人柄でひとを見つけようとする方が至難の業ではないかなって。

もしかしたら、その「人柄重視」という言葉の裏に、「自分の音楽人生に誇れるものがありません。技術を磨く努力をしたくありません。」という思いが隠されているのであれば、しっかりと向き合うべきなんだろうと思います。
かつての僕は、ここに逃げていて才能がないくせに努力をしない自分をなんとか肯定しようとしていました。

そして、僕が自分の言葉に説得力をもたせるために、しっかりと技術を磨いていく必要があります。

気が遠くなるようなことを繰り返す毎日ですが、自分を信じて頑張ります!



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