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放射線療法で言語能力失う→B17療法で声が復活、健康も取り戻す 

放射線療法で言語能力失う→B17療法で声が復活、健康も取り戻す
頭および頸部の癌~「B17 第2巻 癌クリニックの体験」(1979年初版発行 著者:ジョン・A・リチャードソン 訳者:渡辺正雄、河内正男、小笠原治夫 監修:河内省一 ノーベル書房)を紹介します。

※で囲んだ文章はシン・説が僭越ながら解説している部分です。
 
これは鼻、舌、咽喉、声帯、扁桃腺などの癌の場合である。扁桃腺と陽性結節をもつ癌では、正統派療法だけで治療すると四人のうち三人が五年以内に死亡する。また、声帯の癌も十人のうち二人は五年以内に死亡する。顔面の癌に対しては、生き残るために治療しても、美容的に顔にひどい変形が起きてしまう。以上の事実を心に入れてB17による病歴例を読んでいただきたい。
 
【P103CMX】頸部リンパ腺の癌と舌根部の癌の46歳女性
1964年4月頸部にリンパ腺のかたまりのあるのに気付いた。生検の結果「まだ十分に分化しない扁平細胞癌」と診断。リンパ節の摘出を受けた。甲状腺も切除したが、癌ではなかった。1973年5月46歳のときに舌根部の癌が見つかり放射線療法を受け、リンパ腺への拡がりに追加照射。この治療で彼女は言語能力を失った。同年11月までに右腋窩に転移が進んでおり、X線と制癌剤の併用を提案された。
声帯麻痺で声が出なくなり、大部分の甲状腺を切除したうえに皮膚は放射線でただれ、唾液腺の機能も止まった。霧吹きでたえず口の中をしめらさなければならなくなった。彼女は治療が耐えがたくなってB17療法で腋窩リンパ腺癌を治したいと考えた。1975年9月リチャードソン診療所を訪れ、治療を受けた。1年4か月後に診察するとすっかり健康を取り戻していた。声も復活した
 
【C147DR】右頸部に転移を伴った右扁桃腺癌の76歳男性
聴力低下の検査を受けるために1974年3月地元の医師を訪ね、右扁桃腺と右頸部リンパ腺の腫大があり、すぐにカリフォルニア州の病院に入院し、右扁桃腺を切除。病理診断ではよく分化したリンパ肉腫だった。彼は地元の医師にリチャードソン診療所に行きたいと言い、病状報告書を依頼し承諾された。
B17の初期の治療コースを終えた。手術を受けて頸部にも癌転移の兆候があると診断されてから2年後、彼は1976年4月に当診療所に手紙をくれた。ビタミン類をとり菜食を守ってきたが、年齢の割に壮健で癌はよく制御されていると述べている。その間、放射線療法、化学療法、二度目の手術も受けなかった。
 
【L128WX】鼻の基底細胞癌
1971年8月鼻の生検を受け、鼻の基底細胞癌と診断された。鼻唇部まで拡がっており、美容上、放射線療法より外科手術がすすめられた。女性は看護婦で手術をためらい、自分で食事療法を始めた。肉食を避けて、酵母やビタミンなどの栄養強化につとめ、1日何回も分けて約30個の杏仁を1971年9月から1974年8月まで続けた。
1974年8月からリチャードソン診療所でB17療法を受けたが、このときには鼻や顔の癌は四分の一の大きさに縮小していた。4か月後の生検でも癌は検出されていたが、その約1年後癌性の侵蝕はほぼ完全に消滅。看護婦にも復帰した。
※個人的な食事療法を約3年も行えたのは看護婦という職種からでしょうか。女性であれば、顔の中心部に放射線療法や外科手術を避けたいのはよくわかります。3年の食事療法の結果、リチャードソン診療所に来た時点で、すでに癌が四分の一の大きさに縮小していたということですが、これは3年食事療法したことと同時に、3年正統派医療を受けなかったことも意味します。近藤誠理論の癌“放置療法”にも通じるかもしれません。
1日に30個の杏仁を摂取するのは随分大変なことのように思えますが、杏そのものではなく、杏の種は袋詰めが通販などでも簡単に入手できます。※
 
【B113M】鼻・頬・咽喉および脳の癌の75歳女性
1963年、1968年、1970年と扁桃腺と鼻の痛みで放射線療法を受け、1973年癌の再発が見つかった。1974年5月鼻の残部と頬の一部を切除、4か月後にまた痛み出し、放射線療法は照射量の限界だった。
代謝療法について調べはじめ、1974年10月、75歳のときに代謝療法を開始。療法から1年半後の1976年3月患者によれば、「B17の1日1回静注4日目で少し効き目が出てきて週1回の筋注、B17の錠剤を日に二錠ずつ服用するころには症状がすっかり軽減。半年前かかりつけ医に鼻を検査してもらった。“あなたが今どんな治療をやっているにせよ、ぜひそのまま続けなさい”と言われた」
 

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