見出し画像

エドマンド、法事のついでに爆撃機で金塊運ぶってよ

世界的な大富豪ロスチャイルド家の一員で、資金提供などで日本の戦後復興に貢献したとして勲一等瑞宝章を受けたエドマンド・デ・ロスチャイルドの自伝の中に、
「一九四六年末、伯父がスイスで亡くなり、遺族のお悔やみに戦後初めての海外旅行をした」とあります。
これが仰天旅行なのです。
 


園芸家でもあったエドマンド・デ・ロスチャイルド


「飛行機旅行は当時は大変困難だった。突然だったにもかかわらず運よく座席が確保できた。暖房なしのランカスター爆撃機で、政府がスカイウエイ航空からチャーターしたものである。イングランド銀行がバーゼルへ金塊を輸送するためのものだった」
 
破天荒過ぎてひとつずつ解説が必要です。
ランカスター爆撃機はイギリス空軍に採用され、第二次世界大戦でドイツへの無差別爆撃などに使われました。
イングランド銀行と言えば、世界初の近代的中央銀行とされ、国王の借金をマネー化して市場で流通させ、部分準備銀行を制度化しました。
スイスのバーゼルに金塊を運ぶと言えば国際決済銀行(以下BIS)の金準備以外にありえないでしょう。
エドマンド・デ・ロスチャイルドは、政府がチャーターした最大10トン積載可能な爆撃機に、爆弾の代わりにそれ相当の金塊を積み、7人乗りの座席の1席に同乗できたというわけです。伯父さんのお悔やみのついでに。
こんな荒業はイギリス国王にだってできないでしょう。とてつもない権力です。
 
イギリスは1931年に金本位制を離脱し、世界大恐慌の遠因になったとされています。BISはドイツの第一次世界大戦の賠償金支払いの管理を助けるために1930年に作られましたが、賠償金を強制する努力が崩壊すると中央銀行のための銀行に鞍替えしました。
イングランド銀行の宙に浮いていた金準備が、BISに移管されることが意味するのは、イングランド銀行を支配する者とBISを支配する者が共通するということです。
 
スイスは、永世中立国で有名です。日本のあちこちの県境などによく建てられている「平和都市宣言」や、「隣人は皆いい人たちだが、私だけが悪さしそうだから武装を放棄します」としか読めない「憲法九条」のように、「平和、平和」と唱えているだけではなく、スイスには職業軍人と予備役からなる屈強の連邦軍があり、核シェルター普及率は100%です。
ユースタス・マリンズ著の「カナンの呪い」によると、「ウイーン会議の重要案件はスイスの永久中立国化を認めること。スイスは世界革命を計画するための地であり続けると同時に、革命で不当に収められた戦利品が本来の持ち主に奪還される心配もなく、安全に保管される地でもあり続けられることになった」とあります。
 
スイスは世界中の富の保管庫と言えます。国民の命以上に、国内の誰かの富を絶対に守る決意を秘めているようです。
 

旅先で友人が事故死も旅は続行


「ロスチャイルド自伝」の中にある別のエピソードも紹介します。
第2章大旅行です。
 
大学卒業後に1年7か月かけて世界旅行をしています。「選ばれた若者の通過儀礼」のようです。長旅の道連れに、ひとりはアフリカ、ひとりは南アメリカといったふうに4人の仲間と旅しました。
しかし、出発1年余りたった狩猟のときに大事故が起こりました。
 
「インドシナで狩猟をしていたときに、銃の事故でニッキーが死亡したことである」
要約すると、
<オーストラリアから合流した仲間フランシスと親友ニッキーが私の昼寝中に、ガウアという牡牛の一種を追いかけていたときに、フランシスの銃が竹藪で引っかかって誤射され、ニッキーが被弾、知らされたときはすでに虫の息で私の手を握って死んだ。>
 
<「あれこれ思い悩んだり、イギリスとの間でたくさんの往復電報をやりとりした結果、旅は続行することにした。当時、船で帰国するにしても一か月はかかることも決心した理由のひとつだった。ニッキーの葬儀はサイゴンの教会でおこなわれた。リキシャに乗せられて教会へ向かう棺は花があふれていた。英国領事館の助力を得てニッキーの遺体はイギリスへ戻った」>
 
「10年たっても書きたくなかった事件」とも記されています。書いてはいませんが、自分が誤射したのはでないというのも理由のひとつでしょう。
しかし、随分と冷淡な対応、いやむしろ、無邪気なほどの傲慢さが浮かび上がってきます。まともな神経ではないという感想です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?