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ゲイツの祖父はスペイン風邪パンデミックを現地調査したロックフェラー研究所医師 WHOの支配者はビル・ゲイツ編①

マーガレット・サンガーという米国の産児制限活動家を女性の性を解放した人としか読み替えないウィキペディアもさすがに優生学の側面を否定はしていません。彼女の運動の本質が優生学であり、人口削減との両輪だからです。
彼女が創設した全米家族計画連盟にビル・ゲイツのルーツがあります。優生思想が色濃い人口抑制への信奉というルーツです。ここにWHOを支配し、ワクチンで人口削減を図ろうとする理由があります。そして、WHOにわが国の公衆衛生主権を叩き売りしてはいけない理由もここにあります。
 
「WHOの支配者はビル・ゲイツ編」でゲイツ家の家訓、ルーツとも言える人口削減を辿りますが、ロックフェラー家の影響を強く受けています。まず、ロックフェラー家の人口削減について二つの書物から、ロックフェラー家とビル・ゲイツの関係をロバート・ケネディ・ジュニア著「真実のアンソニー・ファウチ」から、ご紹介します。過去の当ブログと重複する点もありますが、ご了承ください。
 
ゲイリー・アレン著「ロックフェラー帝国の陰謀パート1」(原題はロックフェラー・ファイル、1984年自由国民社)より
<ロックフェラー三世は1974年国連世界人口会議で「人口問題を真剣早急に見直してもらいたい。家族計画だけでは十分ではない」
三つの主張は
①金持ちは富を貧しい人に与えよ(でも一族はそうしない)
②自発的な家族計画は不十分(強制的処置が必要)
③先進国の消費を抑え共産圏並みに
国連人口会議は産児制限の制度化を決議したのはロックフェラーの大きな収穫。
彼らの代弁者ワシントン・ポストは今後の行方について論じた。
▽親にふさわしい能力の証明→両親免許証、子供割当カードの発行、避妊薬が大量に出回り、必要ならば中絶でき、一夫多妻やグループ結婚も法的に認める。そして女性はこれまでより変化に富んだ人生が選べるようになり男性は新しい父親像を受け入れるよう求められる。>
<ロックフェラー三世の人口抑制提案と同時に、アメリカではロックフェラー財団による人工中絶奨励が強力に推進された。ジョン・H・ノールズ理事長によれば、財団の目標は毎年アメリカで180万人の中絶を実施すること。ニクソン大統領は在任中に「人口増加とアメリカの未来」委員会を設け、その会長にロックフェラー三世を指名。同委は初期レポートで「中絶を禁止している現行法は自由化されるべきである」
ネルソンはニューヨーク州知事になるやユダヤ教キリスト教の教えで長い間犯罪とみなされてきた中絶法案を成立させる。彼らは1971年夏ニューヨーク市内に最初の大型中絶センターを開設。各州の都市に中絶工場を建てるため信じられないほどの莫大な資金を提供してきた。ニューヨークの中絶センター開設の翌年1972年だけでも70万人の中絶。ベトナム戦争の最後にいたるまでアメリカのすべての戦争で亡くなった戦死者66万8000人より多い。現在の見積もりではすでに1000万人以上の胎児が殺された。>
 
ウィリアム・イングドール著「マネーハンドラー ロックフェラーの完全支配 アグリスーティカル(食糧・医薬)編」(2010年徳間書店)より
<ヘンリー・キッシンジャーとブレント・スコウクロフトが人口削減を米国政府の正式な外交政策とする何年も前に、ロックフェラー兄弟、特にJDR(ジョン・D・ロックフェラー)三世は、人間モルモットの実験に忙しかった。…JDR三世は、プエルトリコの貧民に避妊手術をして人体実験していた。…新設された人口評議会を通じてJDR三世は最初に、人口削減の実験をいくつか実施した。これが後に、キッシンジャーのNSSM200の国務省の世界政策となって結実する。
JDR三世は、彼の人口調節のアイデアを試すため、1950年代からプエルトリコを巨大な実験室にした。1965年のプエルトリコ島の公衆衛生省の調査によると、その年までに出産年齢層のプエルトリコ人女性の推定35%が永久避妊されていた。ロックフェラーの人口評議会と、米国政府の健康教育福祉省(ネルソン・ロックフェラーが次官をしていた)が、避妊キャンペーンを指揮した。彼らは、避妊は、女性の健康を守り、子供の養育期間が少なくなれば女性の収入も安定するという虚偽の論理を展開していた。
プエルトリコの貧しい農家の女性は、米国が建設した衛生的で新しい病院で出産することを奨励された。そこの医者たちは、子供を二人生んだ母親の卵管を括ることで不妊手術するよう指示されており、通常、母親たちは何をされているのか知らないままだった。>
<米国と英国政府が遺伝子組み換え種子の世界拡散に執拗に支援し続けたのは、実は、ナチスの優生学研究(つまり、大規模な人口削減と、アングロサクソンの白人エリートによる有色人種の支配)にロックフェラー財団が資金援助した1930年代以来の、財団の永年の政策の実施に他ならなかった。この集団の一部が気付いたように、人口削減の手段としては、戦争はコストが高く、あまり効果的ではなかった。>
 
ロバート・F・ケネディ・ジュニア著「真実のアンソニー・ファウチ」(2021年)より
<1世紀前、アメリカ初の億万長者ジョン・D・ロックフェラーは、医療慈善事業を立ち上げ、国民の嫌悪、悪い報道、独禁法訴追からの脱出路を切り開き、大成功を収めた。ジョン・D・ロックフェラーの顧問であるフレデリック・テイラー・ゲイツは、ジョン・D・ロックフェラーの主なビジネス腹心兼慈善活動顧問を務めた。フレデリック・ゲイツはロックフェラーが財団を構築するのを手伝い、「彼の財産を賢明に処分すれば、その起源についてのさらなる調査も鈍るかもしれない」と大御所にアドバイスした。
ビル・ゲイツは実質的に彼の誕生から、自身の財団の寄付をロックフェラー組織と調整し始めた。2018年、ビル・ゲイツは「私たちの財団がどこに行っても、最初にロックフェラー財団がそこにあったことを発見した」という顕著な見解を述べた。>
 
ゲイツ氏の人口削減フェチは家系に由来するものである。彼の父親、ビル・ゲイツ・シニアはシアトルの著名な企業弁護士であり、市民指導者であり、生涯にわたって「人口抑制」に執着していた。ゲイツ・シニアは、避妊と不妊手術を促進し、「人間の排泄物」を一掃し、「サラブレッドのレースを創設する」ことを目的として、人種差別主義者の優生学者マーガレット・サンガーによって1916年に設立された新進歩的な団体である全米家族計画連盟の全国理事会の委員を務めていた。…
「私が子供の頃、両親は常にさまざまなボランティア活動に参加していました」とゲイツ氏は2003年にビル・モイヤーズに語った。「私の父は家族計画の責任者でした。そして、それに関与することは非常に物議を醸しました」
ゲイツ氏の父親は2015年のインタビューで、人口過剰について「子供の頃から興味があった」と語った。1994 年、ゲイツ・シニアは発展途上国の生殖と子供の健康に焦点を当てたウィリアム H. ゲイツ財団 (家族初の財団) を設立した。彼の息子の慈善活動は、当初から人口抑制に常に関心を持っていた。
ゲイツ氏は人口過剰に対する深い恐怖を反映した公の場での発言や投資を長々と行ってきた。彼は自分自身を、『人口爆弾』の著者である人口破滅論者ポール・エールリッヒの崇拝者であり支持者であると述べ、ゲイツは彼を「世界で最も著名な環境問題のカサンドラ」、つまり不幸や災害を正確に予測する預言者を意味すると表現している。>
 
※フレデリック・テイラー・ゲイツはビル・ゲイツの曽祖父。ビル・ゲイツ・シニアはビル・ゲイツの父。
また、祖父のフレデリック・ラモント・ゲイツは、ファインド・ア・グレイブというサイトによると、
<シカゴ大学で 1 年半過ごした後、イェール大学を1909 年に首席で卒業。同年、ジョン ホプキンス医科大学に入学し、4年後に最高の成績で卒業。彼はロックフェラー研究所での研究活動に推薦され、その職員の地位に就いた。
1917年の宣戦布告に際し、ゲイツ氏は米陸軍医療隊に志願し、採用されて中尉に任命された。彼はロックフェラー研究所の職員としての任務を割り当てられ、そこでの訓練に参加するために選ばれた軍事グループに講義を行った。予防医学の観点から合宿の視察も任され、各地を旅した。彼は戦後も研究所に勤務し続け、彼の研究、特にインフルエンザに関する研究は世界的に認められた。>

新型コロナウイルスパンデミックに慈善家としてかかわったビル・ゲイツの祖父は大変奇しくも、第一次世界大戦終盤に発生したスペイン風邪パンデミックにロックフェラー研究所所属の医師としてかかわっていたことがわかりました。
 

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