見出し画像

初稿:我が名は二ツ塚

20世紀も末の頃。

府中街道と五日市街道とが交わる辺り。

「二ツ塚」で私は名づけられた。



中学校を卒業し、高校へと進学。
高校へはバスで通学することにしたのだけれど、そのバスに乗る停留所こそが、「二ツ塚」だった。

「あなた、『二ツ塚の少年』って呼ばれているわよ」


同じ高校の女性の先輩の二人組が、二ツ塚バス停から乗り込んでくる私をそう呼んでいたと、同じくバスに乗っていた同期から教えられた。

ちょうど、高校の事実上の「出版部」である組織に参加し、校内誌に寄稿するためのペンネームを考えていたころ。

「それだ」と思い、少しアレンジして「F塚の少年」とした。

時は経ち、30歳を迎えた時。

さすがに「少年」を名乗るのも無理がある、と。

「二ツ塚清平」

多摩地区の地名を元に考え、そして、今に至る。

F塚の少年から二ツ塚清平。

気づけば、この名を用いて20年以上が過ぎた。

高校時代がそうであったように。

じゃぁ、何を書くのか。

いつも気まぐれに、筆を動かしてきた。

時に随筆、小説や詩歌に挑戦したこともあるけれど、正直、気分次第。

今更かしこまってテーマを定めるのも、なんか気が向かず。

あの頃から変わらず、その日その時の気分に従い。

こちらでも、「徒然と」、筆を動かしていこうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?