自分を差別する外見至上主義

 近頃、ルッキズムという言葉をツイッターのタイムライン上で頻繁に見かけるようになりました。もしかすると、元々頻繁にルッキズムに対する議論はされてきていたのかもしれませんが、私の目に留まるようになったのはここ最近でした。

お恥ずかしながら勉強不足なため、ルッキズムという言葉を見かけた時に感じたのは「見た目に関する何かかな」という安直な感想でした。恐らく、この文章に目を通して下さっている方はルッキズムという言葉の意味をきちんと理解されている方が多いとは思いますが、私と同様にルッキズムという言葉の言いたいことはなんとなく解るけど、詳しくは解らないや~という方も、もしかするといらっしゃるかもしれないので、ルッキズムという言葉についてまずはまとめてみました。

ルッキズムとは、外見至上主義と日本語では訳されます。これだけを聞くと、人の外見に厳しい人のことか~という解釈をされるかもしれませんが、ただ人の外見を重視する人を指す言葉ではないようです。ルッキズムとは、外見によって他者を差別してしまう段階まで至ってしまった外見至上主義のことを表すようです。


外見によって他者を差別してしまう段階まで至ってしまった外見主義

今までルッキズムという言葉自体を使ったことがなく、そしてその言葉の存在自体すら気にせずに生きてきた私ですが、この言葉の意味は、ストンとすぐに理解することができました。というのも、私は中学生高校生大学生時代、海やプールに遊びに行きたかったにも関わらず、海やプールに行ったことがないのです。

 思春期に海にプールに行ったことがないことの理由は、私が幼いころから付き合っている症状に理由があります。私は、1歳になる前にアトピー性皮膚炎を発症し、22歳になった現在も毎月皮膚科を受診しています。大人になった今は子供の頃よりも症状がかなり緩和され、1歳から診て頂いているかかりつけ医には「すごくきれいになったね」と言われるまで回復することが出来ました。しかし、ダニ、ハウスダスト、汗、紫外線などに敏感な体質であることは変わりないため、現在も蕁麻疹や湿疹が現れていることが日常である状態です。そのため、21年の間かきむしり、治り、かきむしり、治り・・・を繰り返してきた肌は傷が残っている所もあれば、色素が沈着し、黒ずんでしまっている場所もあります。

これは、私が持つコンプレックスの一つでした。小学生の頃、アトピーの症状を見た同級生から「うつるから近づくな」と言われたこともありました。成長してからも、傷や色素について聞かれることが数回ありました。そのため、白くて傷のない腕や足をもつ周囲の人達を見て、何故自分の体はこんなにも汚いのだろうと胸を痛め、自分の素肌を極力ださないようにしていた時期もありました。また、アトピーの症状だけではなく、皮膚の色が白く抜けてしまう、白斑とよばれる症状が太ももに中学生頃から現れたため、余計に素肌を晒すことはありませんでした。今でも白斑は残っているため、膝より短い服を着ることはありません。

傷や色素の沈着がある肌を見て、胸を痛めたのはきっと、「美白」「美肌」であることがステータスであるという社会における概念から、自分が周囲の人達よりも劣っていると感じたから。しろなまずと呼ばれる白斑の症状を隠すようになったのは、足に広がるまだらな白を醜いと思いこんでいたから。他者より劣っている醜い身体を他者に晒し、他者を不快にさせてしまうことや嘲笑の対象にされることが恐ろしくて、私は海やプールに行けなかったのでしょう。

上記のような私の状態は「痩せていることが美しい」という社会の風潮に影響され、自分の体型に劣等感を感じてしまっている女性と似た状態だったのかもしれません。体型がふくよかであること、肌に傷があること、それは他者に蔑まれる理由ではないのに、自分を自分で追い詰めてしまっていたのです。


■自分に対する抑圧とその背景

「外見によって他者を差別してしまう段階まで至ってしまった外見主義」

私が差別をしていたのは他者ではなく、自分でしたが、ルッキズムが持つ意味はストンと自分の中に入ってきて、理解することが出来ました。


恐らく、私のように自分を自分で差別し、劣等感を抱いてしまっている人が多く存在しています。
自分を自分で差別してしまう背景には、社会に存在するルッキズムがあるのではないでしょうか。

例えば、「自分は不細工だから/自分は太っているから/自分は身長が低いから/自分は肌が汚いから~他人より劣っている、だから〇〇をできない・してはいけない、他人に〇〇と思われる」と、自分に思わせてしまうのは、社会において外見が重視され、優劣が付けられたうえに優れているほうが有利であり、劣っているほうが不利であるという風潮があるからかもしれません。


■自分の言動を振り返ってみませんか?

異性に対する外見に対する自分の言動を初めとした、自分自身の言動にルッキズムを感じる部分はありませんか?

もしかすると、自分自身の言動を振り返り、ルッキズムだと感じるところがあるようならば、そこを正すことによって、回り回って(自分からの差別、他者からの差別問わず)自分に対する外見の差別をなくすことができるかもしれません。

小さな違和感を感じつつも、日常生活においてルッキズムを意識しながら生活をしている人は多くはないでしょう。しかし、私たちは外見至上主義という呪縛から脱出するべきではないでしょうか。

そのためには何が出来るのか、何が必要なのかを考えていく必要があります。ここ最近、ルッキズムという言葉を頻繁に見かけるようになったのは、ルッキズムに関する意識が高くなり、議論が行われているからではないでしょうか。外見至上主義という呪いを解くときが近づいてきている。そう思いたいですね。

男性も女性も、外見という概念に囚われずに社会生活を過ごせるような社会になってほしいと心から願います。


■最後に

稚拙な文章ですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。まだまだ勉強中であり、ルッキズムに関して間違っている箇所があればどうぞご指摘お願いします。

補足ですが、私は肌に傷がある、もしくは沈着している方に海やプールに来てはいけないとは考えていません。人間は人それぞれ価値観や考え方が違います。例え自分が他者の肌に対して不快に思わずとも、自分と価値観や考え方が違う人の中には不快に思ったり、嘲笑の対象にする人がいるかもしれないという気持ちから、海やプールにいくことができませんでした。私個人としては、どんどん自分のしたいことに挑戦していきましょうと考えています。


 



 


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