過渡期の話

イヤホンの充電を忘れた。

イヤホンが使えないと移動の時間にできることが

だいぶ制限される。

音楽も聴けないし動画も観れない。



しかし、動画配信サイトで動画を観ることが

市民権を得たのは本当に直近の

ここ5年くらいの出来事な気がする。

どの配信者をチャンネル登録していて

どの動画が面白くてなんてやりとりは

数年前まで日常会話にはなり得なかった。

私が中学生くらいの頃までは「オタク」が

まだどちらかと言えば蔑称だったし、

公然と「アニメが趣味」とは言えなかったはずだ。

我々はいつでも何かの過渡期を生きている。 



小学3年生から10年くらい空手を習っていた。

詳細は覚えていないが、兄妹まとめて怒られて

「お前たちには一度厳しい環境に身を置いてもらう」

と言われた。怖すぎる。修行パートか?

その修行地の選択肢の中に

近所の空手道場があったわけだ。


 
私は基本的に運動に興味が無かった。

徒競走でビリを取った小学1年生の時のコメントが

「1位がいれば最下位もいる」だったほど

自分の輝く場は運動分野ではないと達観していた。

可愛くないガキである。泣かすぞ。

当然空手もやりたくなかった。

なんてったって空手道場なのに竹刀があるのだ。

怖すぎる。これは確かに厳しい環境だ。

絶対に行きたくなかった。

水泳あたりを習ってお茶を濁そうかと思っていた。

そしたら一緒に見学していた妹が

「空手やりたい」って言うもんだから

兄としてやらざるを得なくなってしまった。

余計なことを言いやがって。

妹はその後白帯で東京都2位という

馬鹿みたいな成績を収めた後、

1年半で競技を引退した。

「引退後は少し休んで、自分のための時間を

作ってあげたいなと思っています」という台詞は

日本中で話題になり、「自分のための時間」は

その年の流行語大賞にもなった。

結局、どの大会でも1回戦で負けていた私だけが

ずるずる続けることになった。



その道場では、「寒中稽古」という

イベントが毎年2月に行われていた。

“行われていた”というのは文字通り、

現在は行われていないイベントになったと

いう意味である。

その内容はと言えば、

「道着(裸足)で江ノ島の浜辺で

数時間稽古をした後、

正拳突きをしながら肩が浸かるまで

波打つ海に入っていく」という

弱めの男塾みたいなメニューである。

その行事への参加は昇級試験の条件に

なっていたからどうしても

行かざるを得なかった。

「黒帯を取るまでは続ける」と

一度自分で言ってしまったからだ。

試合では勝てない自分にも一応面子はある。

昇級のために仕方なく、海水をたっぷり吸った

道着の重みと海風の寒さとを存分に味わいつつ、

稽古後に古い民宿の汚ったない風呂に入り、

何故か全然美味しくないカレーを

食べて帰るのである。



だが、中学生3年生になって受験に専念するため

一瞬道場を離れたタイミングで

寒中稽古が無くなった。

贔屓にしてた宿が潰れたのが理由と言われているが

時代を鑑みたのもあるんだろうと思う。

あんなにしんどかったあれはなんだったんだと

虚脱感が受験前の私の身体に重くのしかかった。



結局、空手は高校2年生まで通い続けた。

昔は厳しかった先生も、

私が大人になっていったのと

先生自身が丸くなっていったのとで、

段々優しくなっていった。

私はついぞ目立った活躍はしなかったが、

高校生に上がってすぐくらいのタイミングで

目標だった黒帯にもなれた。

その経験がなければ、未だに続けている剣道も

始めてすらいなかったんだろうと思うと、

色んな理不尽もあったが今は感謝をしている。



良い悪いの基準は時代の変遷に伴って

変わってくる。

練習中に水は飲んだ方がいいし、

暴力を使った指導法などなくなった方がいい。

真冬の江ノ島の海に子供を入らせるなんて

冷静に考えて色々危なすぎる。

是非はともあれ、

所謂“悪しき風習”が残ってしまうのは、

自分たちが理不尽に耐えている時は

「こんなのやってられねぇ!」と

思っていたはずなのに

後輩にも同じことをしてしまう、そんな風に

自分の経験を肯定したがる人間の性なのだろう。

「今が過渡期だ」という感覚は、

何事においても自戒として持っておくことが

大事なんだと思う。



小さい話ではあるが、

かつてはイヤホンは有線派を声高に主張していた

私もちゃっかり良いワイヤレスイヤホンを買った。

今や有線イヤホンを街中で見かけることは

少なくなった。これも一つの時代の流れだ。



先人として伝えなければならないことがある。

家に帰った時ワイシャツの胸ポケットに

ワイヤレスイヤホンを入れてはいけない。

絶対にだ。

わずか3週間で世代交代をする羽目になった










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