「埃で死ぬわけじゃない」と言ってくる人間に「本質はそこではない」と返し続けている

他人との生活が向いていない人間はいる。

私だ。

私は毎日掃除をしなければ

口から血を噴き出して死んでしまうのだ。


私は毎日ウエットシートで拭き掃除をする。

風呂場も毎日バスマジックリンで掃除をする。

全ての排水溝を綺麗に維持している。

使用後の洗濯機は洗浄するし

ベッドには毎日レイコップをかける。

洗濯機の下の部分にも

電子レンジの裏にも埃は溜まっていない。

家のどこにも髪の毛一本落ちていない。

毎日それを保たないと気持ち悪い。

血を噴き出してしまったら、

血で汚れるから掃除を続けるのだ。


家を出て他人と暮らすまでは

これが当たり前だと思っていた。

私の実家では、休日は自分の部屋+‪αを

掃除してからでないと自由行動が始まらない

ルールがあった。

布団にコロコロをかけ、きちんと畳み、

机から床に至るまで拭き掃除をする。

トイレ掃除も風呂掃除も当番制で毎日やる。

毎日プチ大掃除をするような家庭だった。

掃除が家事として根付いていた。

他人に指摘されて初めて、

それが所謂"潔癖"の表れのような

所業なのだと気づいた。


断っておくが、私は決して潔癖症ではない。

例えば他人の家にどれだけ埃が落ちていても

さほど気にしないし何とも思わない。

"そういう住環境に生まれたから

自分もあくまで自分の居住スペースを

清潔に維持している"に過ぎない。


しかし、これは掃除をあまり大きなタスクと

捉えていない人間からしたら苦痛だ。

犬がほぼ土足で出入りするような家庭もある。

日々の生活に追われて

中々掃除をし切れないのも理解できる。

私は決して他人に掃除を強制していない。

自分の生活圏の中で、

勝手に自分のやりたいようにやっている。

ただ、生活を同じくする人間からしたら

毎日必ず発生する1時間以上の

掃除パートなど目障り以外のなんでもない。

そして、どんなに疲れていても、

仮に発熱している状態でも、

朦朧と拭き掃除が始まるのを見れば

「狂っている」と思うのは当然である。

そうだ、私は狂っている。


家庭は文化である。

幼い頃から触れてきた文化は、

意図するとせざるとに関わらず、

自分の常識となる。

親が付き合いで入信していたような宗教でも

産まれた時からその教えを浴びていれば

結果敬虔な信徒になるのと同じだ。

異邦人が毎日決まった時間にメッカの方向へ

礼をすることを誰が責められようか。

自分でも自分がこんなに

掃除をする人間とは思っていなかった。

実家にいる時はむしろ面倒臭いなと思っていた。

ただそうしてきたからそうしているだけだったが

そうしない他の文化を知ることで驚愕し、

自分の国の文化をようやく認めることで

理解と信心を深めたのだ。

私は文化が産んだモンスターだ。


異文化交流や多文化共生といった

概念はすぐ身近にある。

朝食はパンかご飯か、

風呂は朝か夜か、

育ってきた家族構成や生活リズムで

身につく習慣は変わる。

習慣の1つの集合体が家であり、

その習慣の集合体たる家が文化を形成する。


そうだ

異文化交流や多文化共生は

シェアハウスにあったのだ。


AbemaTVで独占配信されている

南国のシェアハウスでの

男女の恋愛リアリティ番組で

私だけ1人黙々と掃除をしているため

他の参加者から清掃スタッフと認識されたまま

誰とも仲を深めずに

2クール分の撮影が終わった回。











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