現実対虚構

これはシン・ゴジラのキャッチコピーである。

シン・ゴジラは、

往年のゴジラシリーズの"特撮"という

カテゴリを俯瞰し、

「現実にゴジラが現れたらどうなるか」

というフィクションの中の現実味をより強くした

シミュレーションとも言える映画であった。


私の近辺の一部界隈では、

私といえばシン・ゴジラという印象があるほど

私はシン・ゴジラが好きだ。

人生の中で、鑑賞後にあんなに興奮した映画も

10回以上同じ映画を観たこともない。

シン・ゴジラでディスカッションも作った。

最高の映画だ。


何が最高かを論じるには、私の創作作品全般への

態度を説明しなければならない。

映画にしろ小説にしろ漫画にしろ、

私は一貫して、"創作であることを前提にして

設定や展開を飲み込まなくて済む作品"が好きだ。

少し表現を変えて言い直すと、

私が表現の受け手として

その作品が虚構であることを理解してもなお

鑑賞時にそのリアリティやシンパシーに

感動できるような作品が好きだ。


もっと簡単に言えば「リアリティがあるかないか」

なのだが、一口にそう言い下しては

あまりに語弊が過ぎる。

フィクションを楽しもうとしているのだから、

作品の中の魔法や秘密道具を見て

「リアリティがない」とは思わない。

ここで言う"リアリティ"とは、

その作品の設定や背景、人物の相関、

環境や状況などを前提としたとき、

話の展開に違和感が無いかどうかである。

そちらの用意した世界観に従っても

素直に受け入れ難い論理を繰り出されると

首を捻って、噛み砕くのにカロリーを消費する。

それが私である。


具体的な作品を用いて説明しよう。

(以下、特定の作品を例に挙げてその内容を

掘り下げるため、ネタバレアレルギーの諸君は

くれぐれも注意されたい。)



アカデミー賞も受賞した『パラサイト半地下家族』

だが、ふてぶてしくも私はこの作品が苦手だった。

半地下のアパートに住む主人公一家が

ある富裕層家族の邸宅に家庭教師や使用人として

取り入り、互いが家族であることを隠しつつ

寄生していく話なのだが、

あるとき主人公一家はこの金持ち一家が留守中に

勝手にホームパーティをしていたところ

急遽家主たちが帰ってきて大わらわ、

それがきっかけで何もかも台無しになって大惨事、

みたいな展開になる。

私はそこで、「富裕層の一家に家庭教師として

雇われ、その指導方法や人格を疑われないほど

学があるはずの半地下家族の長男が

少し考えればリスクがありすぎるはずの

家主留守中のホームパーティを敢行するほど

油断をしていた」ということを飲み込むのに

苦心した。だいぶ持て余した。

そのせいで、以降の展開を楽しむための

体力を持たせることができなかった。

このように、私は登場人物の"油断"を主要因として

物語が展開することを上手く咀嚼できないのだ。


『鋼の錬金術師』も、作品全体としては

私の漫画史でも5本の指に入るほど

好きな作品ではある。しかしだ。

作中マスタング大佐が敵のホムンクルス、

ラストに脇腹を刺され絶体絶命になったとき、

ラストは「そのまま逝きなさい」と言って

踵を返して別の所に行ってしまう。

その後、大佐は傷口を自身の錬金術の炎で

焼いて塞ぎ、ラストを追いかけて奇襲することに

成功するのだが、当のラストは不意打ちを喰らい

「あの傷でどうやって!?」とかほざくのである。


お前が止めを刺さないからでは????

とめちゃくちゃ思った。

何で???

皆もっと敵が死んだことを確認してほしい。

命がかかった現場である。

悪役としての矜持よりもプロ意識、

それが負けないためには必要だと思わないのか。

お前たちが報連相を怠たらなければ

救えた(殺せた)命が沢山あります。


連載漫画やシリーズものの映画のように

長期に渡って続く作品だと往々にして

辻褄が合わなくなってきたりする。

それはある意味仕方が無いと思う。

ONE PIECEの覇気は絶対に後付けだ。

個人的な作品の好みや完成度にもよるが、

寧ろそっちの方がカロリーを使わず

すんなり飲み込めたりもする。

ただ、理由付けが"油断"のような登場人物の性格や

舞台の設定等に関係の無いところに紐づいて

物語が展開すると、

「何で?」という気持ちが拭えなくなってしまう。

人物の心情やそれまでの話の歯車を無視している、

作り手が進めようとしている

筋書きありきではないか!と思ってしまう。

まぁ天下のONE PIECEでさえも

そういうところがあるのだから、

「"物語"ってそういうもの」と言われれば

そのとおりではあるが、やはり

私は現実に肉薄する虚構が見たいのだ。

「これがこの世界の現実だ」と納得させてほしい。


長い時間続く作品だと、話の辻褄よりも

作品全体の"熱さ"なんかもその魅力になってくる。

だが、映画のように2時間で物語を

伝えなければいけないとき、

展開に"油断"のような、現実でも有りうるがしかし

フィクションにしては突飛な原因に

頼らざるを得なくなることがある。

そこの世界観の論理に当てはめて

矛盾を生じることがある。

好きを公言しているシン・ゴジラでさえ、

ヤシオリ作戦の是非に関しては

疑義を唱えたいと思っている。


しかし、シン・ゴジラには

現実に迫ってくるその世界観に興奮したし、

ワールドトリガー(私の漫画史首位)には

精緻で矛盾のない人間関係と展開に

惚れ惚れさせられている。

重箱の隅をつつきたいのではない。

「これがこちらの世界だ」と殴られるような

説得力のあるフィクションを私は摂取したい。


みんな、シン・ウルトラマン観た?

最初の10分間のあの短時間で

世界観を殴りつけてくる感じ、

否応なしにこっちに方向性を押し付けてくる感じ、

マジで最高だったので、劇場で3回は観る。

ディスカッションも作る。

私は興奮しています。

















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