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腸腸腸・胃胃肝血

病院の待ち時間は長い。

これは誰のせいでもない。

それだけ病に苦しむ人とそれを助けたい人が

いるということである。

今日も私は病院の待合室の椅子に座っている。


最早私の自己紹介の持ちネタになっている

持病の潰瘍性大腸炎だが、現在は寛解期。

8週間おきに問診をして静脈注射で

ヤクをキメておけば、健常者と全く変わりない

生活を送ることができる。

難病申請をすれば国からお金も貰える。

保険制度万々歳である。


安倍元首相も同疾病の患者であり、

それなりに認知度がある病気かもしれない。

潰瘍性大腸炎とは、免疫異常で

大腸に潰瘍ができ、腹痛や下血の症状が出、

寛解と再燃を繰り返す、国の指定難病だ。


汚い話になるが、通常腹痛と排泄はセットである。

体内に悪いものがあるからそれを体外へ出す。

それが自然のサイクルである。


ただ我々はそのサイクルから外れてしまった。

体内に悪いものがあるのではなく、

体内自体が悪いものなのである。

大腸に火傷があるようなものだ。

何も食わなかろうが、排泄しても

患部から滲み出た血液が

出てくるだけで何の解決にもならない。

ただ血が出てくるだけではなく、

当然腹痛を伴うのだが、

これが普通の腹痛よりもかなり痛い。

どれくらい痛いかと言うと

蟻編でゴンにジャジャン拳を食らった後

巣に戻って苦しむラモットと同じ状態に

なるくらい痛い。

腹圧がかかると痛いから動けなくなる。

「首相だったら辞めてる」と何度も思ったものだ。


初めて入院したのは華の20歳のときである。

半年以上かけて準備したサークルの

一大イベントを控えるGW初日、

私はあまりの腹痛に動けなくなっていた。

イベントに出たい。

俺が行かなかったら誰が行くんだ。

運営の俺が一番楽しみにしてたんだ。


母親決死のお粥も虚しく、

40度の熱が出て最寄りの大学病院の

休日診療へ半ば救急搬送。

朦朧としながら私は医師に

「点滴打ったら家に帰してください」と言った。

ディスカッションサークルだぞ。

生き急ぐなよ。

お前の肩には何も乗ってないだろ。

早く入院しろ。

そんな声が聞こえてきそうです。


点滴を打っている際にやってきた

ベテランぽいおじさんの触診と、それによる

「君は入院」という鶴の一声で即入院が決まった。

病室に移動するときは車椅子を使わせてもらった。

まとも動けなかったのだ。

イベントなんて行けるわけがなかったのである。


内科の入院病棟に担ぎ込まれたとき、

炎症の値を示すCRPは正常値の60倍を示していた。

パニック値と言われる数字である。

パニックである。

「数字はでかければでかいほどウケる」という

信条の私もこれには大ウケだった。

腸に穴が開かなくて本当によかったと思う。


入院して1週間は痛みにうなされ、

夜な夜なナースコールをしては

「痛み止めをください...」と呻いていた。

「今日はもう打てないですよ」と看護師が

優しく端的にレスポンスしてくれる。

濁さずイエスノーで答えてくれる人は好きだ。

私は夜通し生唾を味わった。


当然、口から栄養を摂ることはできないので

絶食のうえ点滴生活となる。

通常の点滴は腕からとるが、

長期の絶食が見込まれるため、腕より血管が太い

首から点滴をとることになった。

他にも色んな薬を点滴で落としていたので 

状態としてはほとんどマトリックスである。

管を抜かれて栄養不足で死ぬキアヌ・リーブスは

見たくないが。


点滴から栄養は摂っているとはいえ、

空腹感が常にある。咀嚼が恋しくなる。

何しろ歯が生え揃って以来、こんなにものを

噛まないことなどなかったのだ。

入院から2週間経つと、私は差し入れに

貰った暇つぶし用の粘土細工を口に含んで

咀嚼しては吐き出すという奇行に走っていた。

流石に嘘である。


誰にも理解されないが、入院中に

孤独のグルメのドラマを2シーズン丸々観た。

脳で食感や味を再現し、食欲を誤魔化すのである。

断食中の僧侶も孤独のグルメを観ると聞いた。

絶食とはほとんど修行である。

絶食期間が続く中、「食とは幸福」という

平凡な大学生にしては辿り着きづらい真理を

見出した。人生の幸福の根底には必ず

「食」がある。飽食の時代にも軽んじてはならない。

気まぐれでファスティングとかをする諸君は、

残念だが死んでもらう。


我々IBD(炎症性腸疾患)の業界には

エレンタールという経口栄養剤がある。

刺激物を避けなければいけない我々だが、

その刺激物には、辛いもののような

刺激であることが明白なものに加え

脂や繊維までも含まれる。

そのため、低脂肪低残渣高カロリーという

ボディビルダーも苦心しそうな栄養補給を

求める必要がある。


入院からおよそ3週間経って、

この低脂肪低残渣高カロリーの栄養剤を口から

飲めるようになった。

口から栄養が摂れることが嬉しかった。

何せこちとら3週間味覚を使っていないのだ。

ジュースも禁止だったため、口に入ってくるものは

水しかなかった。

人は失った五感を埋めるように他の感覚が

鋭敏になるというが、私はそのとき既に

視力は5.0になっており、病院の外で蝶が羽ばたく

音さえ聞こえるようになっていた。


3週間振りに味覚をフル活用して味わった

エレンタールだが、これが非常に不味い。

青リンゴ味やヨーグルト味等のフレーバーがあり

最初は美味しそうだと思ったのだが、罠である。

大腸検査のために飲む下剤も開発段階初期の

ポカリスエットみたいな味でまぁまぁ不味いが

それに慣れていた私でも

一気飲みなど到底できない程の味だった。

その時はもう首からの点滴を外していたので、

この囚人に対する悪ふざけみたいな飲み物で

2、3日は食い繋ぐ必要があった。

逆にこれをギリ飲めるようにまでした

製薬会社は本当にすごいのだと思う。

その後はコーヒー味を気に入ってぐびぐび

飲めるようになったから人間の慣れも怖いものだ。


その後、全く味付けしていないお粥に更に

お湯をかけたような重湯に始まり、

徐々に食事を摂れるようになった。

入院から1ヶ月弱経った頃である。

高野豆腐があんなに嬉しかったことは

未だかつてなかった。


その後1ヶ月過ぎて退院できるようになった。

体重は退院時点で155cm女性の美容体重くらいに

落ちてしまったが、そこから半年で

実に15kgものバルクアップに成功し、

長打率も格段に上がった。


退院後は自宅で療養しながら、

食事に気をつけて生活をするようになった。

何しろ脂質は日に30gまでの制限付である。

ポテチを一袋食べてしまったら

それだけでゲームオーバーだ。

その日は白湯を啜るしかなくなってしまう。

自ずと食品の脂質に詳しくなった。

血気盛んな大学生が飲み会の後にラーメン食べて

終電を逃した後公園で缶チューハイを飲みながら

駄弁るみたいなことは夢のまた夢の生活だ。

やりたくもないけどな。くそ。

そう思いながらコンビニのおにぎりの

成分表示を確かめる日々が続いた。


月並みだが、健康であることは何よりの幸せだ。

病気であることは、「足るを知る」機会を

与えてくれる。


そんな気づきも儚く、最初の入院から2年経った

新卒一年目の5月に私は2度目の入院を

することになるが、それはまた別の話である。


少なくとも今は日本酒をささやかな趣味に

できるほど健康であるということと、

健康を支えてくれる医療や制度や周囲への

感謝を忘れずいたいということを

この話の結びにしようと思う。


長くなってしまったが、ようやく名前が呼ばれた。


ヤクをキメて来る。








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