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ハリ日記1日目

9月1日。今日から毎日、日記を書こうと思っている。
先日、後少しで8月が終わる!今年も後3ヶ月!!!と焦っていたのだけど、他の人に指摘され4ヶ月あると知るとなんとなく、余裕に感じてしまう自分の単細胞さに苦笑いしてしまいます。
何もしていなくても(いや、働いているけど)普段の仕事は日々目の前のお客様と向き合うことが仕事なので自分の思考をまとめたり、日々の臨床(治療)の中で感じたことをアウトプットすることを怠けるとあっという間に過ぎていくな。と思った。
 お知らせなどの必要な事を案内する事さえ後手後手なので、今日からちょっと100日間の間、400字でもいいから記事を書くというのをルーティン化するようにしようと思った次第です。

忙しいと心を失う。という事について

まず今日のテーマはこのことについて書こうと思った。
忙しいという文字は「心を亡くす」と書く。自分の気持ちに気がつかないふりをして一心不乱に仕事や何か別のことに打ち込もうとしていたこと。ありませんか?
 私はあります。悲しいことやショックなことが起こると怒ったり相手を責めたりすることになる。と思っていた私だけど、実際想像もしていない形で誰かに裏切られたと感じたり、悲しいと思う時に私の心はどうなるかというと

真っ白になる(つまりフリーズ)

ということだった。
どうやって気持ちの整理をつければいいのか分からない。
怒りよりどうしよう。とかなんとか普通を保とうとする。そして普通に出来ないことでようやくそんな自分にそして、そんな私にさせている相手に対して怒りの感情が湧いてくる。
20歳の留学中、私は幾度となく、裏切られ、傷つき、そしてそのつらさを誰にもわかってもらえないと更に傷ついていた。
共通の友人や嫌な人に苦しめられている事を誰かにぶつけても、気が済むことはなく、むしろストレスは溜まっていったように思う。
こういう時に忙しくするために私が取った行動はとにかく何かをする。だった。
学生の頃は本や漫画を読んだり、ひたすら千切りをしたりして心が何かを感じたり、思考しないようにしていたんだなとあの頃を振り返って見ると思う。
悲しいこと、辛いことを見ないように、無かったことのようにしたかった。
その為に沢山のの映画や海外ドラマを見たし単館系シネマを見に行ったり、おしゃれなバーにあるリキュールのボトルを片っ端から飲んだりしていた。
他にも今となっては何だったのかと呆れる位お料理教室、書道、着付け、日本舞踊、英会話、フラワーアレンジメント・・・習い事の数々。海外旅行にも行きまくっていたし、それら全ては今思うと心を亡くすための儀式だったように思う。

心を亡くしている時、それは喪に服しているようなもので、外側ではとっても忙しくしているけれど、内側はなんとなく空っぽだった。そして空っぽであることを周りに知られることが怖くて怖くてしょうがなかった。

苦しくても、悲しくても、その空っぽを埋めていくのは自分自身でしか出来ないことだし、どれくらいの穴なのか怖くても痛そうでも、やはり自分で触って確かめながらそこを埋めていくという事が必要なんだと今は思う。
すぐ埋めなくてもいい。そして、その空っぽに怯えている間は周りを見る余裕なんてやっぱりない。そう思っている。

悲しみやショックだった出来事以外でも忙しくしている時はやはり心に何かしからの負荷を強いる状態なんじゃないかなと思う。
頭を空っぽにして、ただ今ここにいる自分を感じる事はとても苦しく、怖いことだと感じている人にとって、ただただ忙しくしていることが安心なのだ。

私は傾聴を学び、トレーニングを積んでいく中で、孤独や空白を怖いと感じて避けている自分を知った。最近は悲しいこと、怒りや不満があると自分との対話を繰り返せるように気をつけている1人での思考がぐるぐるして進まないと感じている時はやはり、何かを見ないようにしているんだな。と自分を分析する。
言い訳や忙しいふりをしていることを続けていると少しずつ体がいうことを聞かなくなってくる。
そんな時は誰かに助けを求めるタイミング。
誰かに話を聞いてもらったり、体を癒してあげると少しずつ言葉が出てきて、自分の思考を確認することができたりする。

頭が真っ白になったりフリーズしたら、少しその感覚を味わってみて
自分の内側に「どうしたの?」「あなたはどうしたかったの?」と問いかけてみてほしい。答えが出ない時はぜひセラピストに体を癒してもらいましょう。
安心して体を預けられる人がいると、あなたの思考も、心も、体も今までの重さがびっくりするくらい軽くなります。

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