雪豹
積乱雲を追って
暗い翳つくる地平を疾走するものがあった
川の古い祠の霊気を吸って
星辰のゆらぎを皮膚に烙印するものがあった
(立ち枯れた草木月下のふかい冷え込みのなか
雪豹の仔は生まれた)
机の上の青白い囲みのなかに
閉じ込められた雪豹をみる
書きかけた詩篇のなかで
原野に放たれ
都市の肉を引き裂くおまえをみたかった
力強く疾走し
さ苦痛と不和を削ぎ殺してしまうおまえを見たかった
冬ごもりの温みをあらかじめ備え
叫びの瘡蓋を撫で
蘇生できないわたしを叱咤するような
野生の眼をもった獣のおまえ
滑りやすい雪氷の崖を下るため
不自然なほど太い尻尾は
みごとな均衡をとる
知っていたか
獲物を狩るため
岩になりすまし擬態する習性があることを
文明という巨石に抗うこともできず
擬態のように身を潜めたのは わたしではなかったか
本当だろうか
ふたたび みたび積乱雲を追って
歴史のあらい息づかいに刃向かうように
おまえが生きて咆哮したことは
本当だろうか
霊気の斑紋に身をつつみ
恩寵の毛深い肉球の裡から
鋭い弾劾の爪を突き立てたことは
アルタイのとおい雪渓を
さむいけものとなって指でなぞる
わたしの手の甲の染みが
青白い時を刻む薄明りのなかで
広がっていく
けっしておまえの斑紋のように
美しくはなく
✳️詩集『死水晶』より。2016年10月の作品。日本現代詩人会で投稿を受け付けていることを知り、締め切りギリギリで提出した。詩作に復帰してまもなくだった。自分の詩が投稿の世界で通用するのかしないのか試してみたかった。幸いにも選者の峯澤典子さんから入選をいただいた。これで多少の自信と弾みがつき、その後の私の詩活動が始まったと言える。峯澤さんには彼女の講演会の時に一度お会いし、お礼を申し上げることができた。もしここで私の詩を評価していただけなければその後の活動はずいぶん変わったとおもうし、復帰はうまくいかなかったかもしれない。それだけ記念碑的な作品である。
当然詩集の冒頭に掲げている。Twitter(𝕏)当初、仲の良かったフォロワーさんからは「雪豹殿と呼ばれることもあった」。
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