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【言葉】時代を超えてもイズムは受け継いでいきたい~昭和の名経営者たちの遺した言葉の数々

かつて読んでいた本などを改めて読み直すシリーズ。今回は雑誌「プレジデント」の特集号「人を動かす『言葉の戦略』」より、昭和の名経営者たちが遺した言葉を紹介していきたいと思います。まず思ったのが「さすがにコレは令和の現代ではコンプラ的にはグレーかな?」ということ。昭和の高度成長期にはモーレツ社員たちが奮闘して、ここまでの経済大国を作って下さったわけですが、その分だけ仕事にかける情熱が「熱すぎる」!

そしてバブル崩壊から平成を経た今、様々な構造改革(これが上手くいったか否かはさておき)が行われ、今では「ワークライフバランス」やら「○○ハラスメント防止」というような取り組みが強化され、これから紹介する昭和のリーダーたちの熱すぎる言葉は若干、コンプラ的には引っかかるかもしれません。が、二度目に読み返してみると、そうした違和感よりも、とにかく「良いモノ(製品)」を作り出し、敗戦国ニッポンを一流国にするぞ、という「熱い思い」を感じるような気がしました。ぜひ、その辺りもあわせて感じ取って頂ければと思います。


経営の神様、松下幸之助氏!

「松下電器は何を作る会社かと問われたら、まず、人を作る会社と答えて
頂きたい。しかる後に、電気製品も作る会社だと答えて頂きたい。」

「成功とは、成功まで続けること、失敗するというのはたいていの場合、
途中で辞めてしまうからだ。」(松下幸之助)

人を動かす『言葉の戦略』/プレジデント編集部編より

まずは松下電器、現在のパナソニック創業者、松下幸之助さんの言葉を紹介します。いいですよね、「人を作る会社です」。松下さんに関する著作は多数あり、中でも、かつての部下の方々が書かれた本によると、松下さんはとにかく「厳しかった」と書かれています。本気になって部下を叱るそうで、それはそれは恐ろしかった、と。とにかくそれだけ本気で相手に「分かってもらいたい」という気持ちが強かったのでしょう。まあ、部下の方々の身になってみると、本当に毎日が恐怖だったと思いますが・・・汗。

余談ですが、松下電器が昨今、なんとなく元気がないように見えるのは、日本の家電ファンというか応援団としては悲しい限りです。これは素人解釈ですが、良くも悪くも「松下イズム」に囚われすぎている、というか、各々が都合の良いように松下さんの過去の発言を切り取って引用されているような気がしています。もともとは「National」というブランド名からも分かるように、「日本」というものにこだわりを持った、元祖「メイド・イン・ジャパン」というような家電No.1メーカー。ぜひともそのプライドを持って再び飛躍してほしいと思います!

「オヤジ」と呼ばれ皆から慕われた、本田宗一郎氏

「発明なんてものは『人より早くやる』のが基本でしょう。一秒でも早く発明すれば勝つんです。だから目標に向かって、ただひたすらガムシャラにやるよりしょうがない。」

「過去にとらわれていたら進歩はないよ。過去というのは明日の進歩のために踏み台として利用しなくちゃいけないんだよ。」(本田宗一郎)

同上

「HONDA」というと、オリジナルの技術を持つ、ワクワクする車を作る会社。というイメージを持っているのですが、その根底には創業者の本田宗一郎さんが大切にしていた「技術屋魂」があるのだと思います。白のツナギを愛用し、トップになっても機械いじり(研究ですね)を続けた異色の経営者。ま、もちろんその背景には藤沢武男さんという盟友をパートナーにして、彼に経営面を全面的に任せることができたということがあるわけですが、このコンビが生まれたこともまた奇蹟ですよね。

本田さんの言葉はいい意味で、私たち庶民にもわかりやすい言葉で語られているのが特徴。町の車工場の親父さんが若い連中に酒を飲みながら説教をするような感覚というイメージ。すごく親しみやすいし、気取っていないところが魅力的です。「過去にとらわれていたら、進歩はないんだよ」なんてのは、全く今にも通じる、決して古くならないメッセージですよね。本田さんも戦争を体験されている方だからこそ、戦後復興への強い意識がありましたし、その後の発展を経て経済大国にはなったものの、行財政改革が必要になったときには、ソニーの井深さんとともに立ち上がって運動をもり立てるなど、国家全体についても考えられていたとても「大きな志」をもっていらっしゃった方の一人だと思います。

世界のソニーを井深さんとともに作った、盛田昭夫氏

「適材適所というのは自分で決めるものだ。使う側に決めてもらうことではない。」(盛田昭夫)

同上

「面白いことをやろう」と井深大さんと共に立ち上げ、トランジスタラジオをアメリカに売り込むぞ、と決めて見事に成功させ、後にウォークマンで世界を席巻した日本を代表するソニーの創業者。当時は日本製というと、三流製品の代名詞だったところから、必死の思いで売り込みを続け、徐々に販路を開いていく姿は感動すら覚えます。そうした方々の頑張りのおかげで今があると言うことを私たちは感謝しなければいけませんよね。

ソニーという会社が日本企業というよりも、いち早くグローバル企業として世界市場を視野に動かれていたことも有名です。そのため、他の企業よりも早く「適材適所は自分で決める」ことや経歴不問といった、外国企業のスタイルを取り入れていったこと、そしてそれが定着していったというところにソニーという企業の面白さがあるのではないかと思います。普通、猿まねといっては失礼ですが、形だけ欧米企業のマネをしても上手くいかないじゃないですか。

そして個人的には映画ファンの一人として、ソニーがコロンビア映画を買収した時の出来事は特筆すべきことであると思います!当時は、様々な日本企業がバブル景気に踊り、世界(特にアメリカ)の有名企業を買収するなどして話題になりましたが、いずれも失敗。当時、ソニーの買収も散々叩かれ、早晩売却するだろう、と言われていたわけですが、現地の悪徳CEOどもに騙されながらもなんとか経営を続け、今でもしっかりとハリウッドのメジャースタジオとして存続しているわけですから、お見事!と言いたいですね。ちなみに残念ながら、松下電器もユニバーサル映画を買収しましたが、すぐに売却してしまいましたね・・・。

「土光臨調」で有名な、メザシの土光(敏夫)さん

「やるべきことが決まったら、執念を持って最後までやれ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如だ。」(土光敏夫)

同上

土光敏夫さんは石川島播磨重工業や東芝の経営を担当し、徹底した合理化、そして率先垂範しながら立て直しに取り組まれた方。土光さんの発言集もとにかく「激アツ」なモーレツ社員ぶりが伝わる、土光さんらしい内容ですが、ココで紹介しているメッセージもまた、そうした「モーレツ」ぶりが伝わってきますよね。ちょっと今の時代、一緒に働くとなると、相当しんどい気がしますが・・・笑。

ただ、この土光さんが、他の経営者と違うのは、先ほどもさらっと書きましたが「率先垂範」の方だということ。経営者だからと言ってお屋敷に住むわけでもなく、ご自宅は平屋でエアコンもなし。食事も質素だったそうです。さらには始発で出社(ハイヤーではなく、徒歩でバス停まで行き、電車で出社されていたとか)、また頂いていた給料の多くを、お母様が作った女学校へ寄付されていたというから、頭が下がります。

先ほど、本田宗一郎さんの文章で「行財政改革」と紹介しましたが、それこそ「土光臨調」のことになります。財界総理といわれた経団連会長に就任した土光さんは、「行財政改革」を成し遂げるために奮闘しますが、政治の壁は土光さんをしてもなかなかに風穴を開けることが出来ず、苦労されていたときに、そうした様子を知った本田さんや井深さんが立ち上がり、全国キャラバンを開いて土光さんたちの取り組みを応援するというイベントを全国各地で開くという行動でサポートされたそうです。このあたりの当時の経営者の「国を思う心」を考えると、今の日本が悲しくなるのは私だけでしょうか。政治も企業もなんだかな・・・と(涙)。

「まんぷく」のモデル、インスタントラーメンの父、安藤百福

「知識も大切だが、もっと知恵を出せ。知識は比較的簡単に手に入るが、知恵は大きな努力と体験がなくてはなかなか手に入らない。」(安藤百福)

同上

ラストは日清食品創業者、安藤百福さんです。今では当たり前になっているインスタントラーメンを作り出した方で有名ですよね、カップラーメン博物館もあるくらいですから。その安藤さんの遺した言葉も、なかなか強烈ですが、まさにその通りですよね。「知識も大切だが、知恵を出せ!」・・・勉強だけでなく、もっと体験から学べ!ということにも取れるよな、と思っています。新しい発想って、本から学ぶだけでなく、なんとなくふとしたときに「降りてくる」ということはありませんか?

諸説ありますが、要は脳の「潜在意識」はずーっと懸案事項について考えていてくれていて、ふとあるときに、化学反応が起こって「ひらめき」になるのかな、と勝手に考えています。安藤さんも最初のアイデアから試行錯誤を繰り返しながら、トライアンドエラーを続け、徐々にブラッシュアップしていったわけですから、ご自身の体験も重ねた上でのご発言なのだと思います。AI全盛の今こそ、体験の大事さ、自分の知恵の大切さを伝えてくれる、とても意味のある重いメッセージだと思います。


いかがだったでしょうか?一見すると、コンプラ的には・・・な部分もあると思いますが、それを上回るほどの「熱いパッション」のようなものが伝わってきたのではないでしょうか。「失われた30年」などと言われ、停滞を続ける我が国ではありますが、戦後焼け野原から奇蹟の復興を果たし、経済においてはアメリカに続く世界第二位まで上り詰めた過去を持っているわけですから、なんとしても今一度、過去の栄光にすがり続けるのではなく、改めて「日本らしさ」を世界に発信し、光り輝いていきたいものですね。

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