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【LIFE】「もし自分だったら・・・」と考えてみる

新年明けてから、なんだかいろいろ胸を痛める災害、事故、事件が相次いでいます。今までの自分だったら、そうしたニュースを見聞きしても、ついつい目の前の自分事(まあ、そのだいたいが仕事がらみだったわけですが・・・)に追われ、そこまで深堀りせずに来たように思うのですが、今現在は仕事面ではそれほど追われていないからか、こうした事象に関して考える時間が増えているように思います。

とはいえ、ごくごく一般人である私に何が出来るわけではありませんが、こうして発信の場を使って自分の考えなどを少しでも表現していければと思っています。そして今回考えてみたいのはタイトルにも書きましたが、「もし自分だったら・・・」と自分事として考えてみる、ということについて考察していきたいと思います。


「もし自分だったら・・・」という考え方

これはとてもシンプルで、もし自分が(相手に)されたら嬉しいことをしよう、ということです。例えば能登半島地震。政治家や(申し訳ないですが)目立ちたい一般の方や芸能人が、被災地を訪れているという報道がされていますが、これも「もし自分が被災地に住んでいて、避難している立場だったら、こういう人たちが来てたらどう思うか?」と考えれば、「行く」という選択肢はありえないと思うんですよね。

自分だったら軽々に駆けつけるなんてことは・・・

もし仮に炊き出しにその日だけ来てくれたとしても、そうした物見遊山の方々には「帰る場所」があるわけで、そこでは温かい寝床も食事もお風呂もあるわけです。一方、自分が被災地の住民だとしたら、ほんの一時だけ温かいご飯をもらったとしても、翌日は?そしてその翌日は?となると思うんです。それにこれからの生活は?仕事は?家族は?子どもは?さらにはもしご自宅が被災していたとしたら、今後の再建計画は?などなど、心配事が常に頭を駆け巡っていると思うんです。そんな状況下で素人さんというか、部外者が軽々に「助けに来ました」なんてよくそんなことができるな、と思ってしまうんですよね。

自分だったら、その「見えない」上から目線が気になる

さらに言うと、もし自分だったら、「恵んでもらう」的なことに抵抗とまではいきませんが、やっぱり「申し訳ない」気持ちを常に持つと思うんです。ですから、ずっと恩恵を受け続けるのも心が引けるというか、そんな気持ちでいるところに、先ほどのような方々がやってきて、さも「可哀想な皆さんに、恵みを与えに来ました」的な(←もちろん、こういう気持ちを持っていなかったとしても、どこかそういう風に穿ってしまうということです)人たちが来たら、それは面白くないし、良い気持ちはしないと思うんです。

もちろん上記は私の勝手な妄想ですが・・・

以上は、私の勝手な想像で、もしかしたら全然そんなことは現実ではないのかもしれません。ただ、「もし私だったら・・・」という自分の考えでは、そんな風に考えてしまうと思うので、部外者が軽々に被災地へ足を運ぶ、なんてことは、とてもではないですが理解できないのです。では、何が出来るのか?これは多くの方が仰っていますが「義援金」と「ふるさと納税」でのサポートが今のところは一番良いのではないかと思います。私もできる限り長く継続していきたいので、ほんのわずかですが、まずは「ひと月分」としてお送りしてみました。

やす子さんの至言!(今年最初の「名言」いただきました!)

すでにX(旧ツイッター)でも話題になりましたが、元自衛官のやす子さんがTVでとても素晴らしいコメントをされていたので、ご存じの方も多いかと思いますが、ご紹介したいと思います。

「一般の方がいま、助けに行くぞって行かれているんですけど、その一般の方がどこに泊まるかというと、民泊を借りたりとか、ガソリンをどうするかというと現地のものを使わないといけなくて、被災地の方にも力を借りなければいけなくなる」と個人が乗り込むことの問題点を具体的に指摘。

 続けて、「けど、自衛隊は自己完結してて、燃料、食べるもの、寝るところもすべて自分たちで持って行く。ですので、被災地に迷惑をかけずに支援ができるのが、自衛隊の大きないいところのひとつかなと思っているので」と話した。

 さらに「自衛隊の方も余震があるので、気をつけて頑張っていただけたらなと思います」と気遣いも見せるなど、完ぺきに説明してみせた。

 一方で、一般市民ができることについてもきちんと言及。「緊急車両が通れないと助かる命も助からなくなってしまう。いま、みんなができることは、募金とか、一旦、いまいるところで祈るというか、いまできる生活を送った方がいいんじゃないかなと思います」と語った。

デイリースポーツ(1/7(日) 21:13)より抜粋

もうただただ完璧!どなたもぐうの音が出ないほどの正論ではないでしょうか。いつも明るいやす子さんが、語気を強めることなく、やす子さん流に「やんわりと」物見遊山の方々を諭し、自衛官を称え、さらには私たち一般人ができることをさらっと紹介。もう素晴らしすぎますね、これこそ「自分事」として捉えている好例だと思います。

最近、特に多くないですか?相手のことを考えない事件

この件のみならず、なんだか「自分だったら・・・」と考えたら、そんなことはしないんじゃないか、ということが相次いで起きている気がしてとても残念に思います。いろんなケースを挙げたい気もするのですが、枚挙に暇がなさすぎ、どれだけ長編になるんだ、という恐れがあるのでカットしますが、本当に毎日の報道でつくづく痛感しています。


自分がして欲しいことをしよう

よく前職の時に、私自身もそうでしたし、スタッフチームには「自分がして欲しいことを(相手に)しよう」ということを話していました。一例を挙げると、有り難いことに卒業生がそのままスタッフとして手伝ってくれるケースが多かったのですが、そんなときにまず新入りチームのメンバーに「自分の時にしてもらいたかったことを後輩たちにしてあげてほしい」というふうに伝えていました。

「自分のときにしてほしかったな」ということを、後輩にしてあげられたとしたら、その次はそれが後輩たちにとっては「当たり前」のこととなり、その後輩たちがスタッフになるときには、それ以上のことをそのまた後輩たちにしてあげられるのではないか・・・?なんてことを期待しての「善循環」作りの一環でした。私自身、当時は「一番良い塾」を作ろうと本気だったので、それはそれは(無駄に)激アツだったと思います(笑)。振り回されたスタッフチームには申し訳ないですが・・・笑。


「相手の立場で考える」ことの大切さ

今は立場も変わり、仕事内容も職種も変わり、私自身が先頭に立つわけではないのですが、それでもこうした考えは常に持ちながら職務にも当たっていますし、それこそ日常生活でも、こうありたいなと思いながら過ごしています。もちろん、人それぞれ「自分だったら・・・」の考えが異なることは当然なのですが、それでも多くの人が「自分が(相手に)してほしいことをする」または「相手の立場で考える」ようになれば、今よりもうちょっと過ごしやすくなるのかな、なんて思っています。

・・と、まあエラそうなことを言っていますが・・・

とはいえ、自分に余裕がないときは、すぐにキレる(もちろん言葉には出しませんが)し、顔に出る(らしいです、相変わらず)ので、結局、まずは自分自身が精進せねば・・・という話なんですけどね、とどのつまり。「人は変わらない」というのも真実なので、これはなかなか・・・笑。それでも「変わろう」と努力せねば、ですよね。今年の目標の一つです。みなさんはどうですか?


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